薬山館〔旧称・主水山館〕(茨城県那珂市) [古城めぐり(茨城)]
←主郭の土塁と堀
薬山館〔旧称・主水山館〕は、歴史不詳の城館である。隣接する根城内館と同様、数年前に新発見された城館で、溜池から水を引いて水田管理を行っていたと推測されている様だ。
薬山館は、又三池の東側の平地に、根城内館と沼を挟んで向かい合う様に築かれている。堀で囲まれた主郭と思しき曲輪と、その周りの平地に穿たれた幾つかの堀で構成されている。根城内館よりは堀がやや大きく、明確な土塁も確認でき、よりしっかりした普請がされており、城館らしい構えを見せている。とは言え、防御性はほとんど無く、根城内館と同様、官衙遺跡の様な印象である。強いて考えれば、佐竹氏による額田城長期攻囲戦の際に、臨時の兵站基地(倉庫)として築かれた可能性もあるだろうか。川越市下広谷地区の城館群と同じ様に。或いは灌漑施設の管理事務所的な館だったものだろうか。判断に迷うところである。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.471839/140.476770/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
※Pさんから頂いた情報で、茨城大学で調査の結果、主水山館と仮称されていた館は、「薬山館」に正式名称が決定したとのことで、本項の呼称も修正しました。(2017-7-20追記)
薬山館〔旧称・主水山館〕は、歴史不詳の城館である。隣接する根城内館と同様、数年前に新発見された城館で、溜池から水を引いて水田管理を行っていたと推測されている様だ。
薬山館は、又三池の東側の平地に、根城内館と沼を挟んで向かい合う様に築かれている。堀で囲まれた主郭と思しき曲輪と、その周りの平地に穿たれた幾つかの堀で構成されている。根城内館よりは堀がやや大きく、明確な土塁も確認でき、よりしっかりした普請がされており、城館らしい構えを見せている。とは言え、防御性はほとんど無く、根城内館と同様、官衙遺跡の様な印象である。強いて考えれば、佐竹氏による額田城長期攻囲戦の際に、臨時の兵站基地(倉庫)として築かれた可能性もあるだろうか。川越市下広谷地区の城館群と同じ様に。或いは灌漑施設の管理事務所的な館だったものだろうか。判断に迷うところである。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.471839/140.476770/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
※Pさんから頂いた情報で、茨城大学で調査の結果、主水山館と仮称されていた館は、「薬山館」に正式名称が決定したとのことで、本項の呼称も修正しました。(2017-7-20追記)
2017-07-05 02:00
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コメント(2)
こんばんは、お久しぶりです。
昨年暮れに、茨城大学関係者とこの城を調査しまして、その際聞いた話ですが、土地の公図の確認をし、その結果を土地所有者に報告、それに納得がいかなかった所有者も自ら土地の確認をしたそうです。
その結果判明したのが、ここの所在地は字薬山といい、城館名も 薬山館 として決定されました。
この話は、今年初めに余湖氏、アオ氏にもお伝えしてありますが、HPでは修正されていません。
なお、主水山館は、薬山館の北東にありましたが、昭和初期の土取りでほぼ消滅しました。
座標=36.474817, 140.480382
by P (2017-07-20 22:32)
>Pさん
大変ご無沙汰しております。また貴重なお話をご教示いただきありがとうございます。
この館については、根城内館ともどもどのように扱えばよいのか、かなり悩みました。というのも、ブログ本文にも記載した通り、管理事務所的な性格の館のように思われ、それを地方武士の城館と同列に扱って良いものかどうか、判断つきかねたからです。最近では村民が逃げ込む「村の城」というジャンルも確立されており、中世城館と一口に言っても、なかなか多種多様な性格のものがあって、既成観念の枠に収まらないものも出てきていますね。またいろいろと教えて下さい。
by アテンザ23Z (2017-07-21 00:12)