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金上城(茨城県ひたちなか市) [古城めぐり(茨城)]

IMG_7600.JPG←主郭背後の堀切
 金上城は、江戸氏の庶流金上氏の居城と推測されている。築城時期などは不明であるが、1590年に佐竹義宣が江戸氏の居城水戸城を攻略する際、江戸氏の一族金上弾正明直が武田原で佐竹勢と戦って討死し、金上城は廃城になったと伝えられている。

 金上城は、那珂川北岸の比高15m程の台地の突端に築かれている。南北2つの曲輪と腰曲輪で構成されている。北の曲輪は外城山と呼ばれる二ノ郭で、郭内には熊野神社が鎮座し、背後を土塁で防御している。南の曲輪が御城山と呼ばれる主郭で、やはり背後に大きな土塁が築かれ、二ノ郭との間は堀切で分断されている。この堀切は主郭側に向かって凹字状に屈曲しており、主郭土塁上から横矢が掛けられている。深く見応えのある堀切なのだが、藪がひどくて写真写りの悪いことこの上ない。また主郭の南辺にも低土塁が築かれている。主郭は方形でなく、南東部が舌状に突出した形状で、この突出部の付け根と前述の低土塁の接続部の、ちょうど塁線がL字に折れている部分に虎口が築かれている。この様に、角部に虎口というのは極めて珍しい構造である。主郭の東から南にかけての外周には横堀・腰曲輪が築かれており、前述の虎口はこの腰曲輪に繋がっている。横堀の南端部には物見状の小郭がある。また腰曲輪は、主郭の東側を延々と伸びて、主郭堀切下の腰曲輪に通じている。遺構としては以上で、簡素な構造の小城砦である。主郭付近が未整備で薮に埋もれているのは惜しい。
主郭周囲の横堀→IMG_7634.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.369863/140.537968/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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