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行方城(茨城県行方市) [古城めぐり(茨城)]

IMG_4497.JPG←主郭横堀の屈曲部
 行方城は、中城とも呼ばれ、大掾氏の庶流行方氏の居城である。行方氏は後に四家が分立し、行方四頭と称された。その事績は古屋城の項に記載する。行方氏の嫡流たる小高氏は小高城に本拠を移したため、行方城は一旦廃城になったと言われるが、室町中期になると、船子城主であった下河辺義親が行方城に移り、改修したと言う。1591年、所謂「南方三十三館の仕置」で下河辺氏は佐竹氏に滅ぼされ、その後佐竹氏の家臣荒張尾張守が入城したが、翌年の佐竹氏の出羽秋田移封によりこの地を去り、行方城は再び廃城となったと言う。

 行方城は、谷戸の低湿地帯に面した比高20m程の段丘先端に築かれている。先端の広大な主郭と台地基部にある二ノ郭から成る、素朴な縄張りの城である。二ノ郭は民家となり、主郭はその民家の畑となっている。民家の方が不在だったので、中に入ることができず、敷地外の外周斜面だけ確認した。主郭と二ノ郭の間には堀切があり、かなり埋まっているようだが痕跡は明確である。この堀切近くには腰曲輪を睥睨する櫓台が見られる。主郭の外周には横堀が穿たれ、特に西側斜面は二重横堀となっている。南西端部で屈曲して掘り切っており、横矢を意識していることがわかる。主郭北西端には土橋が見られるが、往時からの遺構かどうかは不明である。後世の改変の可能性もある。遺構としてはこの程度で、縄張りの技巧性はほとんど感じられない。主郭が広大なので、政庁機能を優先させた城だった様である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:http://maps.gsi.go.jp/#16/36.052864/140.462394/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0l0u0t0z0r0f0
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