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稲荷山城(長野県佐久市) [古城めぐり(長野)]

IMG_1259.JPG←頂部の主郭跡
 稲荷山城は、勝間反の砦とも言い、本能寺の変の後の武田遺領争奪戦「天正壬午の乱」で徳川方が取り立てた城である。1582年、徳川家康は佐久の平定を依田信蕃に命じ、更に同年8月柴田康忠を援軍として佐久に派遣し、中信諸将を集めて勝間反の砦を基地とし、築城の名手松平家忠に城の修築をさせた。徳川方の津金衆は、ここを基地として北条勢を岩崎砦で撃ち破った。1585年には、家康は真田昌幸の拠る上田城を攻撃したが敗退し、この城へ引き上げた。1590年、前山城で討死した伴野刑部の子や相木常林が挙兵した時には、討伐に出た小諸城主松平康国(信蕃の子)が稲荷山城で陣容を整えて相木へ向かったと言う。

 稲荷山城は、千曲川西岸の比高40m程の独立丘陵に築かれている。現在城跡の大半は稲荷山公園に変貌し、その他の部分も宅地などになっており、堀は埋められているなど遺構の大半が失われている。ただ地勢は健在で、公園頂部に建つコスモタワーからは、周囲の眺望に優れる地であることがよくわかる。遺構としては、曲輪跡の平場と切岸らしい地形が見られる程度で、縄張図を見ながらでないと、往時の城の姿を想像することも難しい。きちんと城址公園として整備されなかったことが悔やまれる。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.192374/138.482537/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0f1


武田遺領をめぐる動乱と秀吉の野望―天正壬午の乱から小田原合戦まで

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  • 作者: 平山 優
  • 出版社/メーカー: 戎光祥出版
  • 発売日: 2011/05/01
  • メディア: 単行本


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