星尾城(群馬県南牧村) [古城めぐり(群馬)]
←南斜面の腰曲輪
星尾城は、南牧衆の筆頭であった砥沢城主市川氏の初期の居城と言われている。市川右近四郎義継が南牧に来住して星尾城を築いたと伝えられる。その子、四郎左衛門真保の時に、砥沢城を築いて移り、以後は砥沢城が市川宗家の居城となり、星尾城はその支城となったと言う。
星尾城は、標高690m、比高180mの山上に築かれている。峻険な岩山であるが、東の尾根下に林道が通り、トンネル脇から比較的楽に登ることができる。城とは言うものの、ほとんど自然地形を利用した小城砦で、山頂部は岩山そのままのただの物見台で、人のいるスペースはわずかしかない。そこから南西の尾根に何段かの小郭があり、南下に腰曲輪が築かれている。この辺りは普請が明瞭なので、城として使われたことは間違いない。大手は南に伸びる尾根にあったらしい。山深い場所にあるので、ほとんど烽火台としての使用が主だった様である。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.173470/138.656538/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
星尾城は、南牧衆の筆頭であった砥沢城主市川氏の初期の居城と言われている。市川右近四郎義継が南牧に来住して星尾城を築いたと伝えられる。その子、四郎左衛門真保の時に、砥沢城を築いて移り、以後は砥沢城が市川宗家の居城となり、星尾城はその支城となったと言う。
星尾城は、標高690m、比高180mの山上に築かれている。峻険な岩山であるが、東の尾根下に林道が通り、トンネル脇から比較的楽に登ることができる。城とは言うものの、ほとんど自然地形を利用した小城砦で、山頂部は岩山そのままのただの物見台で、人のいるスペースはわずかしかない。そこから南西の尾根に何段かの小郭があり、南下に腰曲輪が築かれている。この辺りは普請が明瞭なので、城として使われたことは間違いない。大手は南に伸びる尾根にあったらしい。山深い場所にあるので、ほとんど烽火台としての使用が主だった様である。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.173470/138.656538/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:中世山城
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