SSブログ

笹ノ平城(群馬県南牧村) [古城めぐり(群馬)]

IMG_2576.JPG←主郭の櫓台
 笹ノ平城は、南牧六人衆の一人、高橋氏の城である。1567年に武田家家臣団が納めた生島足島神社の起請文に南牧衆のものがあり、ここに名を連ねた小沢源十郎行重、市川四郎衛門重久、市川四郎兵衛貞吉、懸河彦八郎直重、高橋左近助重行、市川兵庫助景吉ら6名を南牧六人衆と称している。笹ノ平城は高橋左近助重行が城主で、元は国峰城主小幡氏が磐戸の高橋氏に命じて築いたとされる。小幡憲重・信貞父子が同族の小幡景貞に国峰城を奪われた後、武田信玄の支援を受けて市川氏の砥沢城に入ると、景貞はこれを討つべく出兵し、この付近の桧平一帯で激戦となり、笹ノ平城も戦闘に巻き込まれたと言う。尚この合戦は、信貞が国峰城を奪還した際、信玄の下で大いに活躍していく端緒となった。その後、南牧六人衆は小幡氏に属した。更にその後は上州諸豪と同じく、武田氏が滅ぶと織田信長配下の滝川一益に属し、本能寺の変で織田政権が崩壊すると、小田原北条氏に服属したのだろう。

 笹ノ平城は、標高500m、比高150m程の山上に築かれている。東麓の民家の裏に尾根へ近づく緩斜面があり、そこを登って南東尾根に取り付けば、そのまま城まで登ることができる。ほぼ単郭の城で、山頂にはこの手の小城にしては広やかな主郭がある。北側に張り出した縦長の三角形状の曲輪で、主郭南東部には櫓台が築かれており、祠が祭られている。主郭の両端には堀切が穿たれているが、規模は小さくささやかなものである。主郭の前面に当たる東尾根には数段の小郭があり、そこからずっと降った先にも2段の段曲輪があり祠が祭られている。主郭の背後の尾根は自然地形で積極的な普請の跡は見られない。遺構を見る限り、山間の街道の監視と詰城として機能していた様だ。
主郭背後の堀切→IMG_2593.JPG


 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.166974/138.723228/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


戦国大名と国衆 (角川選書)

戦国大名と国衆 (角川選書)

  • 作者: 平山 優
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 2018/12/21
  • メディア: 単行本


タグ:中世山城
nice!(6)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 6

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント