笠間城 その2(茨城県笠間市) [古城めぐり(茨城)]
←天守曲輪の腰曲輪の一つ
(2020年2月訪城)
2月に笠間市で城郭関係のシンポジウムがあり、そこで笠間城の広域の縄張図を手に入れることができたので、城の主要部を再訪するとともに、以前に踏査していなかった遺構を確認した。これらを見ると、笠間城は幕末まで使われた城でありながら、中世山城の姿を濃厚に留めた縄張りであったことがわかる。
<天守曲輪の腰曲輪群と二重竪堀>
<北西尾根遺構群>
←下段郭切岸と横堀
二ノ丸腰曲輪の北から北西に向かって伸びる尾根上には、3段の曲輪群で構築された外郭がある。曲輪は下に行くほど広くなる末広がり形状で、付け根には物見台と堀切(現在は遊歩道が貫通)がある。広い下段郭の北東部には土塁が築かれ、西側には一段低く虎口郭が置かれている。下段郭の西面から北面にかけては横堀が構築されている。横堀の西側下方では更に堀切が穿たれている。
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.385515/140.264887/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
<二ノ丸腰曲輪群 北西端の堀切>
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.384410/140.265037/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
<正福寺郭遺構群>
←外周の大横堀
入手した縄張図には「正福寺跡」と記載されているが、実質的に出城であるので、ここでは正福寺郭と呼称する。薮が多くて郭内の踏査は困難であるが、3段ほどの環郭式に配置された曲輪群で構成されている。この曲輪群の北側1/3周ほどを、大横堀と大土塁で取り巻いている。この横堀は、西端部で竪堀となって落ち、千人溜り(的場丸)に通じる車道を横断している。また横堀の土塁の外側にも北東と北西に腰曲輪が置かれている。
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.385481/140.267156/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
<正福寺郭の東側遺構群>
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.384885/140.269248/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
<北東尾根の遠堀>
←大堀切
城域からかなり離れた北東尾根の中腹に、大堀切が穿たれている。堀切の前面には大土塁が構築され、堀切の後ろには曲輪が築かれている。防衛陣地であったことがわかる。
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.387372/140.270396/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
(2020年2月訪城)
2月に笠間市で城郭関係のシンポジウムがあり、そこで笠間城の広域の縄張図を手に入れることができたので、城の主要部を再訪するとともに、以前に踏査していなかった遺構を確認した。これらを見ると、笠間城は幕末まで使われた城でありながら、中世山城の姿を濃厚に留めた縄張りであったことがわかる。
<天守曲輪の腰曲輪群と二重竪堀>
腰曲輪から落ちる二重竪堀→
本丸平場から堀切を挟んで東にそびえる佐白山には天守曲輪が築かれているが、佐白山の北斜面を中心に天守曲輪を防衛する腰曲輪群が何段も築かれている。中には、土塁で取り巻いた半月状の腰曲輪もある。また一部の腰曲輪では、下方に向かって二重竪堀が穿たれている。<北西尾根遺構群>
←下段郭切岸と横堀
二ノ丸腰曲輪の北から北西に向かって伸びる尾根上には、3段の曲輪群で構築された外郭がある。曲輪は下に行くほど広くなる末広がり形状で、付け根には物見台と堀切(現在は遊歩道が貫通)がある。広い下段郭の北東部には土塁が築かれ、西側には一段低く虎口郭が置かれている。下段郭の西面から北面にかけては横堀が構築されている。横堀の西側下方では更に堀切が穿たれている。
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.385515/140.264887/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
<二ノ丸腰曲輪群 北西端の堀切>
先端の堀切→
二ノ丸の外周には数段の腰曲輪群が築かれているが、北西端の曲輪の先に堀切が穿たれている。場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.384410/140.265037/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
<正福寺郭遺構群>
←外周の大横堀
入手した縄張図には「正福寺跡」と記載されているが、実質的に出城であるので、ここでは正福寺郭と呼称する。薮が多くて郭内の踏査は困難であるが、3段ほどの環郭式に配置された曲輪群で構成されている。この曲輪群の北側1/3周ほどを、大横堀と大土塁で取り巻いている。この横堀は、西端部で竪堀となって落ち、千人溜り(的場丸)に通じる車道を横断している。また横堀の土塁の外側にも北東と北西に腰曲輪が置かれている。
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.385481/140.267156/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
<正福寺郭の東側遺構群>
塁線が内側に折れた切岸→
正福寺郭の東側の尾根にも曲輪群が築かれている。中心となる曲輪は切岸で囲まれ、2ヶ所ほど塁線が内側に折れて横矢を掛けている。北東部にはL字に横堀を穿ち、東側下方に更に堀切を穿っている。場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.384885/140.269248/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
<北東尾根の遠堀>
←大堀切
城域からかなり離れた北東尾根の中腹に、大堀切が穿たれている。堀切の前面には大土塁が構築され、堀切の後ろには曲輪が築かれている。防衛陣地であったことがわかる。
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.387372/140.270396/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
戦国の城を読み解くのセミナーですね。竹井さんの話を聞きたかったです。笠間に行きたかったですね。
笠間城は関東では珍しい石垣の城で今も石垣がよく残っています。直接は笠間と関係ない大石内蔵助の像がふもとにありました。牧野氏の城で幕末まで存続したので石垣を中心とした近世の遺構が目立ちますが、中世の城郭遺構も残っていますね。城域も広い城ですが、中世部分はあまり整備されていなかったです。もっともこちらに行く人はあまりいないですね。今の時期でも見学できるでしょうが虫が多そうです。
by 史学会帰り新参 (2020-07-09 11:54)
>史学会帰り新参さん
設定エラーでコメントに気付くのが大変遅れてしまいました。申し訳ありません。
笠間城の中世部分はあまり知られていないので、
もっと整備して多くの人が見れるようにしてもらえるとありがたいのですが・・・。
by アテンザ23Z (2021-12-20 20:37)