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下小屋城(群馬県渋川市) [古城めぐり(群馬)]

DSCN6307.JPG←主郭周囲の土塁
 下小屋城は、1572年の甲斐武田氏の侵攻に際し、伊香保地衆が築いた城と言われる。その他の歴史は不明である。

 下小屋城は、伊香保温泉にほど近い榛名山の北側中腹に築かれている。沼尾川とその支流の西沢によって南北を深く削られた断崖地形の上に位置している。県道155号線の脇の空き地に車を停めると、目の前に削り残し土塁のような大きな土壇がある。その脇から城に向かって小道が伸びている。道の両側に互い違いに土壇があり、往時の虎口の名残のように思われる。土壇の基部には石積みが見られるが遺構かどうかは不明である。道を先に進むと広大な平場が広がっており、これが主郭であるらしい。耕作放棄地の様だが薮払いはされており、内部の踏査は容易である。林の中に入っていくと、主郭の周囲には土塁が延々と築かれているが、西端ではその外側の二ノ郭の方が主郭より高くなっており、不思議な縄張りである。また主郭の東側には下郭(三ノ郭?)が築かれている。下郭の外周から主郭南側にかけては崩落地形の断崖で、いつ崩れるかも知れず、あまり縁には近づきたくない。一方、二ノ郭の北側下方にはいくつもの腰曲輪があり、断崖に面している。下郭の形状も含めて、この腰曲輪付近の様子は『日本城郭大系』の縄張図とあまり合っておらず、豪雨時の断崖の崩落によりかなり地形が変化しているのではないかと思われる。断崖に面した主郭の南辺や北辺の縁には低土塁が築かれているが、崩落しやすい地質なので往時のものではなく、耕地化に伴うものと推測される。この他、主郭の台地基部には堀切があったらしいが、現在は埋められてしまっている。下小屋城の構造は以上で、断崖の地勢だけを頼みとした技巧性のない縄張りで、秩父方面によく見られる、武田軍の略奪侵攻に備えた、有事の際の地衆の逃げ込み城だった様である。
二ノ郭北側の腰曲輪→DSCN6264.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.513310/138.918504/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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タグ:中世崖端城
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