伊王野館(栃木県那須町) [古城めぐり(栃木)]
←堀跡の根岸川と土塁跡
伊王野館は、那須七騎の一、伊王野氏の居館である。伊王野氏は、那須頼資の次男資長が、1239年に伊王野に分知されたことに始まる。当初は平地に伊王野館を構え、那須氏の一族として重きを成し、那須宗家が上那須・下那須に分裂すると、上那須氏の重臣として活躍した。1487年頃に背後の山上に伊王野城を築いて移ったと言う。時代は下って江戸時代になると、1627~33年の6年間は、伊王野氏は山城から降りて再び伊王野館に居住したが、1633年に伊王野氏は無嗣断絶となった。
伊王野館は、現在は伊王野小学校の敷地となっている。往時の主要街道であった東山道沿いという交通の要衝に位置している。土塁と水堀を廻らした単郭方形居館で、現在は北から西、及び南辺の西半分の土塁が残っている。北側の堀は、根岸川をそのまま堀として利用しており、現在もその姿を残している。伊王野城と共に、伊王野氏の往時の勢威が偲ばれる。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.958757/140.160109/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
伊王野館は、那須七騎の一、伊王野氏の居館である。伊王野氏は、那須頼資の次男資長が、1239年に伊王野に分知されたことに始まる。当初は平地に伊王野館を構え、那須氏の一族として重きを成し、那須宗家が上那須・下那須に分裂すると、上那須氏の重臣として活躍した。1487年頃に背後の山上に伊王野城を築いて移ったと言う。時代は下って江戸時代になると、1627~33年の6年間は、伊王野氏は山城から降りて再び伊王野館に居住したが、1633年に伊王野氏は無嗣断絶となった。
伊王野館は、現在は伊王野小学校の敷地となっている。往時の主要街道であった東山道沿いという交通の要衝に位置している。土塁と水堀を廻らした単郭方形居館で、現在は北から西、及び南辺の西半分の土塁が残っている。北側の堀は、根岸川をそのまま堀として利用しており、現在もその姿を残している。伊王野城と共に、伊王野氏の往時の勢威が偲ばれる。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.958757/140.160109/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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