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一条氏館(山梨県市川三郷町) [古城めぐり(山梨)]

DSCN0981.JPG←館跡の蹴裂神社
(2020年7月訪城)
 一条氏館は、一条氏塁、上野城とも言い、武田信玄の弟一条信竜の居館である。元々一条氏は、平安末期に武田信義の嫡男次郎忠頼が一条荘に入部したことに始まる。忠頼が源頼朝に謀殺されると、甥の信長が後を継いだ。その孫時信は甲斐守護となったが、その後絶えていた。戦国時代に武田信玄は、一条氏の名跡が絶えているのを惜しみ、異母弟の右衛門大夫信竜を立てて一条氏を継がせた。信竜は上野の地に塁城を築き、その子上野介信就と共に200騎を率いて甲南の守りを固めていた。1582年、織田信長による武田征伐の際、信竜は上野城に立て籠もって駿河路から侵攻した徳川家康と戦ったが、子の信就と共に討死した。

 一条氏館は、笛吹川南岸の丘陵中腹に築かれている。現在の蹴裂神社の辺りにあったとされるが、城館らしい遺構は皆無で、境内に上野城の石碑と一条信龍の祠があるだけである。しかし昭和20年代前半の航空写真を見ると、蹴裂神社周囲の畑の西から北西にかけて腰曲輪或いは堀状の畑の帯が見える。これを主郭外周の塁線だとすると、主郭の北端はやや突出して横矢を掛けていた様に見える。現在は畑のキワの段差と、下段の曲輪もしくは堀は耕作放棄地の薮で、夏場だとよく確認できない。ただ高台にあるため、眼下の眺望に優れており、陣を置くには絶好の地勢であったことが伺われる。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.567527/138.520507/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


甲斐の山城と館〈下〉東部・南部編―縄張図・断面図・鳥瞰図で見る

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  • 作者: 宮坂 武男
  • 出版社/メーカー: 戎光祥出版
  • 発売日: 2014/07/01
  • メディア: 単行本



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