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武田信義館(山梨県韮崎市) [古城めぐり(山梨)]

DSCN1340.JPG←土塁跡とされる土壇
(2020年7月訪城)
 武田信義館は、甲斐源氏の惣領武田氏の初代信義の居館である。信義の父源清光は、父義清と共に常陸から甲斐に配流となった。清光には10数名の男子がおり、それぞれ甲斐各地に分封されて多くの支族を輩出した。中でも武河荘武田に拠った信義は武田太郎と号し、兄逸見太郎光長よりも抜きん出て、甲斐源氏の惣領的地位にあった。1180年、以仁王の平家打倒の令旨を奉じた信義は、子の一条忠頼、弟の安田義定ら甲斐源氏一族を率いて挙兵した。駿河目代を討ち、富士川の戦いにも参陣して平家軍を敗走させ、その功で信義は駿河守護に、義定は遠江守護に任ぜられた。その後も木曾義仲追討・平家討滅などに従軍して武功を上げた。しかし猜疑心の強い源頼朝は、甲斐源氏の勢威を危険視し、信義に謀反の嫌疑をかけ、また信義の子一条忠頼を謀殺するなど、甲斐源氏の多くを抑圧した。頼朝に遠ざけられた信義は、家督を5男信光に譲って表舞台から退き、1186年に59歳で病没したと言われている。

 武田信義館は、釜無川西岸の台地上に築かれている。東は釜無川の侵食による急崖、南と北も浸食谷が入り込んでおり、三方を急崖で囲まれた地勢である。そこにある武田集落の中に、信義館の伝承地がある。館跡とされる場所はほとんどが畑に変貌しており、明確な遺構はほとんどない。北側の車道脇に石塔の並ぶ土壇があり、これが館の土塁跡と言われている。館の中心付近には、館跡の標柱と解説板が立っている。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.710559/138.431318/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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