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曲渕氏屋敷(山梨県北杜市) [古城めぐり(山梨)]

DSCN1065.JPG←若宮八幡社境内
(2020年7月訪城)
 曲渕氏屋敷は、甲斐武田氏の家臣曲渕荘左衛門吉景(或いは勝左衛門・庄左衛門とも)の居館である。武田信玄の傅役板垣信方の家臣となり、1548年の上田原の合戦で信方に属して戦った。その後、山県三郎兵衛昌景の家臣となり、1557年7月の信州小谷の平倉城攻めで、山県軍に属して曲渕庄左衛門は城主飯森春盛を討ち取った。武田信玄の西上戦では、1573年2月の三河攻撃で庄左衛門が勇名を馳せている。1582年3月の武田氏滅亡後は剃髪して玄長と号した。しかしわずか3ヶ月後に織田信長が本能寺で横死し、武田遺領争奪戦「天正壬午の乱」が生起すると、曲渕氏は、釜無川流域の地域武士団「武川衆」の一員として徳川家康に服属し、勝左衛門父子は斥候に出て軍功があった。その後は徳川氏に仕え、江戸時代には幕府の旗本となった。
 一方、曲渕氏屋敷は、花水坂を下りて釜無川沿いに諏訪に向かう逸見路を押さえる要衝であったため、天正壬午の乱の際、北条軍に砦に改修されたと考えられている。

 曲渕氏屋敷は、釜無川北岸の丘陵中腹に築かれている。小深沢川沿いにある若宮八幡社付近がその比定地とされている。境内に屋敷跡の標柱が立っているが、明確な遺構はない。また八幡社の南側下方は宅地となっていて改変されているので、どこまでが屋敷地であったのか推測することも困難である。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.814577/138.344210/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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