SSブログ

三枝氏屋敷(山梨県北杜市) [古城めぐり(山梨)]

DSCN1209.JPG←屋敷の遺構とされる土塁
(2020年7月訪城)
 三枝氏屋敷は、三枝土佐守屋敷とも言い、徳川氏の家臣三枝土佐守昌吉の居館である。三枝氏は、武田信虎の時代に石原守種の次男丹波守守綱が三枝氏の名跡を継いで再興したと言われている。守綱の子土佐守虎吉、その子昌吉は天正壬午の乱以降、徳川家康に仕えた。尚、三枝氏がこの地に居住した時期は明確ではないが、1601年の甲斐国四郡の検地帳に「三枝土佐知行」の村が数多く出てくるので、当時はこの地に館を構えて居住していたと考えられている。その後、1614年に徳川氏の実質的な天下支配が確立すると、徳川氏は巨摩郡1万5千石を屋代越中守勝永(秀正)・真田隠岐守信尹(信昌)・三枝土佐守昌吉に知行し、屋代氏は上神取に、真田氏は大蔵村に、三枝氏は東向村に、それぞれ居館を構え、塩川の東西に3氏の居館が集中する形となったと言う。

 三枝氏屋敷は、塩川西岸の東向地区の南東辺縁部に位置している。三枝氏が再興した信光寺(昌吉の墓がある)の付近が「中屋敷」と呼ばれ、三枝氏屋敷が寺付近にあったと伝えられる。現在は畑となって変貌しているため、その規模・形状は不明である。ただ、段丘先端にある八幡神社の北東に土塁があり、これが屋敷の遺構と考えられている。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.808747/138.447636/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


縄張図・断面図・鳥瞰図で見る 甲斐の山城と館

縄張図・断面図・鳥瞰図で見る 甲斐の山城と館

  • 作者: 宮坂武男
  • 出版社/メーカー: 戎光祥出版
  • 発売日: 2014/03/24
  • メディア: 単行本



タグ:居館
nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 4

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント