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古宮城(山梨県北杜市) [古城めぐり(山梨)]

DSCN1246.JPG←西側の空堀
(2020年7月訪城)
 古宮城は、古宮屋敷とも呼ばれ、この地の土豪津金氏の居城である。文明年間(1469~87年)に常陸佐竹氏の一族佐竹胤義・胤秀父子が武田氏16代信昌を頼って甲斐に入り、津金郷を与えられて津金氏を称した。清水・小池・高見沢・比志・小尾・箕輪・海口・村山・八巻・井出・河上ら八ヶ岳東南麓地方の武士団は「津金衆」と呼ばれ、津金氏はその中心的存在であった。津金氏2代胤秀は武田信昌・信縄・信虎の3代に仕え、1516年に没した。胤秀の子3代美濃守胤時は、1550年の海野平合戦や1552年の信州桔梗原合戦、1561年の第4次川中島合戦に従軍して軍功を挙げ、1575年の長篠の戦いで討死したと言う。4代美濃守胤重も、長篠合戦に従軍して負傷したが帰還し、1618年に没したと言う。1582年の天正壬午の乱で徳川・北条両氏が対陣した際には、津金衆の一部は北条方に属したが、大半は武川衆と共に徳川方に付いて活躍した。胤時の子修理亮胤久は、徳川家康に仕えて各地に従軍し、後に望まれて尾張徳川家に仕えて尾張に移住し、尾張津金家の祖となった。一方、1603年に家督を継いだ胤久の長男美濃守胤卜は、徳川幕府直参となり江戸津金家の祖となった。

 古宮城は、須玉川支流の小河川の西側に突き出た丘陵上に築かれている。東側下方には佐久往還が通っており、街道を押さえる要地である。高台になっており、頂部は諏訪神社の境内となっている。境内には城跡の石碑が立ち、西側には空堀が残っている。その西側には切通し状の車道が通っているが、これも堀跡であったように思われる。そうなると二重堀切であったということになる。その他は改変が多くて縄張りが不明な部分が多いが、南の段に建つ津金学校の敷地も腰曲輪であった可能性がある。いずれにしても明確な遺構は空堀だけで、残念な状況である。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.851318/138.445019/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


武田三代の城

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  • 作者: 岩本 誠城
  • 出版社/メーカー: 山梨ふるさと文庫
  • 発売日: 2020/06/15
  • メディア: 単行本



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