日向氏屋敷(山梨県北杜市) [古城めぐり(山梨)]
←屋敷地付近
(2020年7月訪城)
日向氏屋敷は、武田氏の家臣日向大和守是吉(昌時)の居館と伝えられている。日向氏は、武田氏の一族逸見氏の庶流と言われる。是吉は武田信玄に仕えて、信濃海尻城の城将や信濃深志城の城代を務めるなど活躍した。1582年の武田氏滅亡の際、是吉は子の二郎三郎と共に光村寺(是吉が開基した寺)で自刃したと言う。是吉のもう一人の子藤九郎昌成は、1564年に上野国倉賀野で討死したと伝えられる。
日向氏屋敷は、於小路集落の中心部にあったと推測されている。この地は八ヶ岳南東の裾野地帯で緩傾斜地の只中にある。明確な遺構はないが、集落の東西には段差があって、周りより高くなっている地勢であることがわかる。尚、坂本工務所の建物の前に日向大和守を祀る祠が立っている。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.840638/138.413304/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
(2020年7月訪城)
日向氏屋敷は、武田氏の家臣日向大和守是吉(昌時)の居館と伝えられている。日向氏は、武田氏の一族逸見氏の庶流と言われる。是吉は武田信玄に仕えて、信濃海尻城の城将や信濃深志城の城代を務めるなど活躍した。1582年の武田氏滅亡の際、是吉は子の二郎三郎と共に光村寺(是吉が開基した寺)で自刃したと言う。是吉のもう一人の子藤九郎昌成は、1564年に上野国倉賀野で討死したと伝えられる。
日向氏屋敷は、於小路集落の中心部にあったと推測されている。この地は八ヶ岳南東の裾野地帯で緩傾斜地の只中にある。明確な遺構はないが、集落の東西には段差があって、周りより高くなっている地勢であることがわかる。尚、坂本工務所の建物の前に日向大和守を祀る祠が立っている。
日向大和守の祠→
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.840638/138.413304/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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