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武田信春館(山梨県甲州市) [古城めぐり(山梨)]

DSCN1776.JPG←土塁跡とされる墓地
(2020年7月訪城)
 武田信春館は、甲斐守護武田氏12代信春の居館で、千野館とも呼ばれる。甲斐武田氏は代々石和周辺に守護館を構えていたが、信春が跡を継ぐと千野に居館を移した。これは、黒川金山の掌握を狙っていた為との説がある。信春の頃は南北朝動乱期に当たり、甲斐武田氏は一族を挙げて北朝方として戦ったが、信春の代になると甲斐国内は不安定な状態となり、1355年に南朝方の国人衆が信春を攻め、信春は柏尾山に陣取って戦っている。1413年に一族の逸見氏が叛乱を起こすと(逸見氏の乱)、信春館は兵火にかかって落館し、信春は荻原山の柳沢の堡に逃れて、そこで病死したと言う。信春の遺言で館跡に葬り、慈徳院を建てたと伝わっている。

 武田信春館は、塩ノ山の東に位置する慈徳院の境内となっている。境内は、周囲より一段高くなっており、館跡の地勢を残している。しかしそれ以外に明確な遺構は確認できず、北東角部に一段高くなった墓地が土塁跡とされるが、改変されすぎていてよくわからない。館の南東には水路が流れ、「千矢の堀跡」と標柱がある。館の東の堀で、往時は優良な矢竹が茂っていたらしい。また館の北西の道路は「馬場街道」の標柱があって、館の兵馬の訓練場所であったと言う。尚、境内には武田信春の墓が残っている。
堀跡の水路→DSCN1777.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.713974/138.734300/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


山梨の古城

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  • 作者: 岩本 誠城
  • 出版社/メーカー: 山梨ふるさと文庫
  • 発売日: 2017/07/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


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