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於曽屋敷(山梨県甲州市) [古城めぐり(山梨)]

DSCN1786.JPG←南辺の土塁
(2020年7月訪城)
 於曽屋敷は、甲斐源氏の一流於曽氏の居館である。元々は、甲斐の古代豪族三枝氏の分流三枝系於曽氏がいたが、平安末期に衰亡し、代わって甲斐源氏加賀美遠光の4男光経・5男光俊が入部して於曽氏を称したと言う(加賀美系於曽氏)。於曽屋敷は於曽光経・遠経父子の屋敷と言われ、鎌倉初期に築館された。時代は下って永禄年間(1558~70年)、武田信玄の時代に、於曽信安が板垣氏を継ぎ、信方・信泰は於曽殿と呼ばれて活躍した。1582年の武田氏滅亡の際、織田勢の攻撃を受け、板垣権兵衛がこの地で自害したと伝えられている。
 一方、於曽屋敷の周囲には黒川金山を管理した金山衆が多く住居を構え、金製法の作業場があったことから、金山衆の役宅との説も提示されている。

 於曽屋敷は、塩山駅南方の市街地の只中にある方形単郭居館である。西半分は於曽氏後裔の廣瀬家の宅地になっているが、東半分は公園として整備されている。四周には大きな土塁が廻らされている。往時は二重の土塁で囲まれていたらしいが、現在は一重の土塁しか確認できない。残っているのは、北辺以外は内側の土塁で、東中央には虎口らしい跡が見られる。北辺は外土塁が残っており、内側に内土塁が部分的にわずかに残存しているが、かなり低くなっており、ほぼ湮滅に近い。西辺の土塁は廣瀬家の宅地内にあるが、西側に細い通路があり、一応外周から見ることができる。土塁の周囲には水路を兼ねた水堀があったと思われるが、現在は湮滅している。しかし連方屋敷と同様、市街地の只中であるのにこれだけ遺構がよく残っているのは、奇跡的という他はない。
 尚、板垣権兵衛の腹切石が、屋敷の南東の道路脇に残っている。
西辺の土塁→DSCN1822.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.703084/138.732551/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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