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願海寺城(富山県富山市) [古城めぐり(富山)]

DSCN4269.JPG←民家手前の城址碑
 願海寺城は、上杉謙信に服属した武将寺崎民部左衛門盛永の居城である。1577年に謙信が越中・能登・加賀を制圧すると、寺崎氏は上杉氏に従った。しかし翌78年に謙信が急死すると、越中に進出してきた柴田勝家・佐々成政らの織田勢に従った。1581年3月に織田信長の馬揃えの為、越中の織田勢が在京して越中国内が手薄となると、上杉景勝はその隙を突いて小出城を包囲した(小出城の戦い)。この時、寺崎氏は再び密かに上杉方に復帰したらしい。しかし急報を受けた成政らは、越前衆の織田方武将と共に越中に帰国し、それを知った景勝は城の包囲を解いて撤退した。そして同年5月に願海寺城は織田勢に攻められて落城したと言う。寺崎盛永・喜六郎父子は捕らえられて近江佐和山城に送られ、7月17日に信長の命により切腹させられた。この時若い喜六郎の最後は見事であったと伝えられている。

 願海寺城は、新堀川東方の平地にあった。現在は城跡の一部が宅地、大半が水田に変貌しており、遺構は完全に湮滅している。「堀の内」の字名が残る場所に主郭があったらしく、過去の発掘調査によって戦国期の複数の堀跡や井戸跡が見つかっている。また城の付近には、「願海寺の七曲り」と呼ばれる、幾重にも屈曲した古道が通っていたが、それも現在では全くわからなくなっている。遺構は望むべくもないが、民家の手前に城址碑と解説板が立てられており、往時の歴史を伝えている。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.717387/137.140886/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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タグ:中世平城
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