SSブログ

宮下楯〔仮称〕(宮城県栗原市) [古城めぐり(宮城)]

DSCN5348.JPG←主郭南側の横堀
(2020年10月訪城)
 宮下楯は、おそらく私が発見したことになる近年発見された城である。位置的には秋法楯の真向かいにある丘陵先端の峰にあり、両城の間はわずか400m程しか離れていない。秋法楯は東方への眺望が塞がれていることから、宮下楯はその支城として東方への監視の任に当たっていた可能性が考えられる。

 宮下楯は、熊野神社の裏山に築かれている。神社の裏の斜面を適当に登れば、すぐに腰曲輪に至る。神社の建つ高台も曲輪であった可能性がある。頂部の主郭と外周を廻る腰曲輪から成る小規模な城砦であるが、主郭の後部には大土塁が築かれ、城門跡と考えられる虎口があり、そこから外(西)に出ると堀切が穿たれていて、丘陵基部を分断している。この堀切は、北側では竪堀となって降っているが、南側に降ったところでは90度折れ曲がって主郭の南側を防御する横堀に変化し、その東端部はそのまま東側の腰曲輪に繋がっている。この腰曲輪には、東斜面に通じる竪堀状虎口が築かれている。腰曲輪の北側は一段高くなり、その先は横堀が円弧状に穿たれている。横堀の西端は竪堀に変化して北斜面に落ちている。この横堀に沿って、上段には主郭より一段低い腰曲輪が築かれ、横堀に対する攻撃陣地となっている。以上が宮下楯の概要である。

 宮城県の遺跡地図にも載っていないので、一応新発見としているが、城内に人が入って薮払いしている形跡があるので、未発見ではないように思える。残念ながら地元の人に行き会うことがなかったため、聞き取り調査はできていない。栗原市教育委員会の文化財保護課にも問合せのメールを出したが、今に至るまで回答は得られていない。何かご存じの方がいれば、情報を頂きたい。

【2023-2-2追記】
栗原市の文化財保護課からようやく回答があり、やはり既に城跡として認知されていたとのことであった。『宮城考古学』第17号の「宮城県二迫川地域の中世城館(2)」の中で紹介されているとのことであるが、本誌については未見のため何という城名が命名されているのかもわからないので、仮称のままとしておく。
主郭北東側の円弧状横堀→DSCN5372.JPG
DSCN5390.JPG←主郭後部の大土塁
主郭背後の堀切→DSCN5392.JPG
DSCN5396.JPG←主郭背後の虎口
 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.801039/140.903081/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。


宮城県の歴史 (県史)

宮城県の歴史 (県史)

  • 出版社/メーカー: 山川出版社
  • 発売日: 2010/01/01
  • メディア: 単行本


タグ:中世平山城
nice!(3)  コメント(2) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 3

コメント 2

ssnk

はじめまして、宮城の城を主に歩いておりますssnkと申します。
ブログ記事いつも参考にさせていただいております。
新城の発見おめでとうございます。私も傾斜量図でこの場所は怪しいと思っておりましたが実際に遺構があることが分かり大変嬉しく思います。
私も実際に訪れて確認したいと思いますし、もし地元の方に何かうかがえそうならうかがってみようと思います。
長文失礼いたしました。
by ssnk (2021-04-14 17:48) 

アテンザ23Z

>ssnkさん
設定エラーでコメントに気付くのが大変遅れてしまいました。申し訳ありません。
私も宮城の城ではssnkさんのツイッターを参考にさせていただいております。(ただ私自身はツイッターをやっていないので、リツイートも何もできないのですが・・・)
新たな情報があれば、ご教示いただけると幸いです。
by アテンザ23Z (2021-12-20 21:45) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント