菖蒲沼古戦場(山形県寒河江市) [その他の史跡巡り]
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(2020年11月訪問)
菖蒲沼の戦いは、1480年に伊達成宗の軍勢が寒河江大江氏を攻撃した戦いである。これより先、周辺に勢力を拡大する伊達氏に対して寒河江大江氏は敵対姿勢を示してきた。そこで1479年冬、伊達成宗は一族の桑折播磨守宗義を大将として寒河江大江氏の本拠寒河江城を攻撃させたが、深雪の為撤退した。翌80年春、成宗は再び寒河江大江氏を攻撃した。伊達勢は寒河江荘の奥深くの菖蒲沼に誘い込まれ、そこへ溝延・左沢勢の伏兵が襲い掛かって、伊達勢は総崩れとなった。大将の桑折宗義も傷を負い、自刃したと言う。
菖蒲沼の戦いは、長岡山北麓の一帯で行われたらしい。市道の脇に石碑が立っているが、石碑が小さい上に、碑が立っているのが車道より一段低い果樹園の隅なので、普通だったらまず気付かないだろう。解説板もなく、残念である。
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.388680/140.269586/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
(2020年11月訪問)
菖蒲沼の戦いは、1480年に伊達成宗の軍勢が寒河江大江氏を攻撃した戦いである。これより先、周辺に勢力を拡大する伊達氏に対して寒河江大江氏は敵対姿勢を示してきた。そこで1479年冬、伊達成宗は一族の桑折播磨守宗義を大将として寒河江大江氏の本拠寒河江城を攻撃させたが、深雪の為撤退した。翌80年春、成宗は再び寒河江大江氏を攻撃した。伊達勢は寒河江荘の奥深くの菖蒲沼に誘い込まれ、そこへ溝延・左沢勢の伏兵が襲い掛かって、伊達勢は総崩れとなった。大将の桑折宗義も傷を負い、自刃したと言う。
菖蒲沼の戦いは、長岡山北麓の一帯で行われたらしい。市道の脇に石碑が立っているが、石碑が小さい上に、碑が立っているのが車道より一段低い果樹園の隅なので、普通だったらまず気付かないだろう。解説板もなく、残念である。
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.388680/140.269586/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:古戦場
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