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柴橋館(山形県寒河江市) [古城めぐり(山形)]

DSCN5798.JPG←城址の石碑
(2020年11月訪城)
 柴橋館は、寒河江大江氏の支城である。現地表柱では柴橋楯と称される。南北朝時代に大江氏6代元政の弟懐廣が築いたと伝えられる。1356年、足利氏の一門で奥州管領であった斯波家兼の次男兼頼(最上氏の祖)は出羽按察使(または羽州管領。諸説あり)として山形に入部すると、南朝方であった寒河江大江氏は北朝勢の進攻に備えなければならなくなった。そして大江氏7代時茂は、本拠の寒河江城を中心に白岩・柴橋・左沢溝延・小泉・高屋・荻袋・見附などに城塁を築かせたと言う。柴橋氏は、懐廣から室町末期の8代頼綱まで続いた。頼綱は大江氏18代高基の弟で橋間(羽柴)勘十郎と称し、豪勇の誉れが高く、兄高基の筆頭家老となった。1584年、白鳥氏を滅ぼしたばかりの最上義光は寒河江大江氏を攻撃した。この時、頼綱は谷地・寒河江連合軍を指揮して谷地城で戦ったが敗れ、その後積極果敢に最上勢に攻め込んだが、鉄砲隊の銃撃を受けて皿沼の地で絶命したと言う。

 柴橋館は、最上川北方の比高10mに満たない段丘上の南縁部に築かれていたらしい。遺構は完全に湮滅しており、アパート脇に城址標柱と石碑が残るだけである。昭和20年代の航空写真を見ても、既に遺構はわずかとなっていた様である。ただこの石碑の刻文、石の模様と表面光沢の反射で非常に見づらく、判読するのが大変である。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.382171/140.257570/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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