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中野城(山梨県南アルプス市) [古城めぐり(山梨)]

DSCN7457.JPG←土塁で防御された虎口
 中野城は、甲斐源氏の一族秋山太郎光朝が築いた詰城と言われている。光朝の事績については秋山光朝館の項に記載する。尚、中野城の南東の支尾根の先には支城とされる雨鳴城があるが、中野城のことを雨鳴城と呼ぶこともあったらしく、古くから両城は一体のものとして認識されていたふしがある。従って光朝が鎌倉勢に攻められて最期を遂げた雨鳴城というのも、この中野城であった可能性がある。

 中野城は、標高1020.6mの城山に築かれている。山の西側に桜池の脇を通る車道が通っており、城山の北西麓の車道脇から登山道が整備されている。山頂にほぼ三角形をした主郭があり、その周囲に腰曲輪が廻らされている。腰曲輪には、東部分の北辺と西側部分に土塁が築かれ、南辺には両側を土塁で防御した虎口が築かれている。しかし主郭内も腰曲輪内も傾斜しており、削平は甘い状態である。主郭から北には断崖上の細尾根が伸び、細尾根上には展望台がある。ここからの眺めは最高で、釜無川流域と富士山がよく見える。更に細尾根を北に辿ると、やがて幅広の尾根となる。ほぼ自然地形の平場であるが、一応曲輪として機能したらしく、東辺には土塁が見られる。また北端には腰曲輪が築かれている。この他、主郭の南東下方にも緩斜面の平場があり、曲輪であったと見られる。中野城は、全体にざっくりとした古い形態の城で、秋山光朝が築いた鎌倉初期の城という伝承は事実ではなかったかと推測される。
主郭腰曲輪の土塁→DSCN7470.JPG
DSCN7520.JPG←北端の腰曲輪

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.591828/138.416437/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


甲斐の山城と館〈下〉東部・南部編―縄張図・断面図・鳥瞰図で見る

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  • 作者: 宮坂 武男
  • 出版社/メーカー: 戎光祥出版
  • 発売日: 2014/07/01
  • メディア: 単行本


タグ:中世山城
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