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御前山城(山梨県山梨市) [古城めぐり(山梨)]

DSCN7824.JPG←北尾根の横堀の土塁
 御前山城は、御前山砦、御前山の烽火台とも言い、歴史不詳の城である。御前山城の南東麓には夕狩沢古戦場がある。1465年、19歳の武田信昌は専横の振る舞いが多かった守護代跡部景家と夕狩沢で戦って撃ち破った。御前山城は、この武田信昌か跡部景家と関わりがある可能性が考えられる。

 御前山城は、標高776m、比高400mの峻険な御前山に築かれている。登道がよくわからず、『甲斐の山城と館』には北尾根を登るのが楽とあったので、460m付近まで車で東斜面の山道を登り、そこから歩いて北尾根を目指した。ところが明確な道は途中で消失してしまい、斜面直登することになった上、結構傾斜はあるし、且つ尾根筋が長くてあまり楽な道ではなかった。北尾根から城に近づくと、最初に円弧状に土塁を築いた横堀が現れる。これが御前山城で最も明瞭な遺構である。更に登ると北東斜面の腰曲輪に至る。この腰曲輪は外周に低土塁を築いた、円弧状の曲輪である。主郭はその上の山頂にあると考えられるが、主郭内は巨岩だらけでほとんど曲輪の体をなしていない。主郭の南東の尾根には段曲輪群が数段連なり、更に尾根を下っていくと平坦な尾根となり、その先に一段高くなった平場があり、これも曲輪と思われる。内部は2段に分かれており、その先の尾根には浅い小堀切がある。堀切の先には2段の尾根上の平場があるが、あまり普請は明瞭ではない。一方、主郭背後の北西の尾根には、巨岩がゴロゴロした斜面の先の尾根鞍部に浅い小堀切が穿たれている。以上が御前山城の遺構で、全体に普請が雑と言う印象である。もしかしたら、信昌の攻撃を受けた跡部景家が、急遽城砦を築いて立て籠もったのだろうか?それにしても、ちょっと登山の苦労を考えると、ちょっと苦労が報われない城だった。また私が登った時、城内をモトクロスで走り回ってる人達が3人おり、そのため段曲輪や切岸にタイヤの跡が付いていた。遺構の損壊がちょっと心配である。
北東斜面の腰曲輪→DSCN7831.JPG
DSCN7873.JPG←巨岩だらけの主郭
南東尾根の堀切→DSCN7857.JPG
DSCN7889.JPG←北西尾根の堀切

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.696123/138.640734/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


山梨の古城

山梨の古城

  • 作者: 岩本 誠城
  • 出版社/メーカー: 山梨ふるさと文庫
  • 発売日: 2017/07/01
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


タグ:中世山城
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