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扇子平山城(山梨県韮崎市) [古城めぐり(山梨)]

DSCN7967.JPG←土塁で防御された主郭
 扇子平(おうぎだいら)山城は、武田氏の一族で重臣であった甘利左衛門尉昌忠の要害城である。甘利氏の居館があった大輪寺近くにある解説板によれば、甘利氏の祖行忠が甘利庄に居館を構えた際に、西方の旭山の山裾にある丘陵に要害を築いたと言う。昌忠の時には亭候(物見)が置かれたと言う。尚、その山形が扇を開いた形に似ていたので扇子平と言われていると言う。

 扇子平山城は、標高620mの山裾の尾根上に築かれている。北東の尾根の先に小曽根集落の奥に伸びる車道があり、獣避けフェンスを越えてすぐの所を左の山林に入り、尾根を目指して登っていけばよいが、道はかなり不明瞭なので山城歩きに慣れていない人は迷うかもしれない。尾根に辿り着くと、若干の平坦地や竪堀状の地形が見られ、これらも遺構と思われるが、『甲斐の山城と館』の縄張図では遺構と認識されていない。尾根筋を登っていくと上方に城域先端の烽火台が見えてくる。烽火台はわずかに土塁を築いた小曲輪で、後ろに蟻の戸渡りの様な細尾根で本城に繋がっている。更に尾根を登っていくと堀切が穿たれ、その上に三ノ郭がある。三ノ郭は何段かの曲輪群で構成されており、扇子平の名の通り東に向かって扇状に開いた形をしている。北辺に土塁も見られるが、削平は甘くざっくりした普請である。三ノ郭の上方は自然の斜面になっており、その上に二ノ郭が築かれている。二ノ郭は、東西に土塁を築いており、内部はいくつかの段差で分かれているが、これもざっくりした普請で削平が甘い。二ノ郭の背後には堀切が穿たれ、その上に主郭がある。主郭は細長い曲輪で、北辺から西側後部にかけて土塁を築いている。また南北に帯曲輪を付随させている。主郭の背後の尾根には堀切を穿っているが、他の堀切よりも規模が大きい。その先は細尾根であるが、物見台の様な平場がある。以上が扇子平山城の遺構で、三ノ郭や二ノ郭に枡形虎口の様な地形も見られるが、全体に普請が大雑把で構造があまり明瞭ではない。北北西2kmの位置にある白山城と比べると、その違いは明らかで、信玄・勝頼の時代に甲斐武田氏が強盛を誇った時期には、伝承の通り物見が置かれた程度の役目しか負っていなかったのだろう。
二ノ郭背後の堀切→DSCN7948.JPG
DSCN7979.JPG←主郭背後の堀切
尾根先端付近にある竪堀→DSCN7905.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.682982/138.428432/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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