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深草城(山梨県北杜市) [古城めぐり(山梨)]

DSCN8241.JPG←虎口のある仕切り土塁
 深草城は、武田氏の家臣堀内氏の居城である。堀内氏は源(逸見)清光の家臣で、代々深草城を居城としたらしい。戦国後期には堀内下総守が城主で、その子主税助の時に落城したと伝えられる。この落城時期は明確ではないが、戦国後期に甲斐国内で戦乱が起きたのは1582年の織田信長の武田征伐か北条・徳川両氏が争った天正壬午の乱の時だけなので、1582年頃と推測される。

 深草城は、周囲を水路で取り巻かれた台地の縁を利用して築かれている。内部は北郭・南郭の2郭に分かれている。北郭の方が南郭より高い位置にあるのでこれが主郭であろう。北郭はほぼ五角形をした曲輪で、全周に土塁を築いて防御している。南東の土塁は、南郭との仕切り土塁になっていて、中央に虎口が築かれている。南郭も東西両辺に土塁が築かれているが、南には土塁がなく、直接水路の水堀に接している。ちなみに南郭にはかつては仕切り土塁があって、更に2つの曲輪に分かれていたらしい。城の外周には水路の水堀が流れ、唯一台地続きとなっている北端部分には堀切が穿たれている。以上が深草城の遺構で、横矢掛かりも塁線の屈曲も枡形虎口もなく、平易な作りの土塁囲郭の城である。解説板も城址標柱もないが、地主さんが城内を綺麗に薮払いしてくれており、ありがたいことである。
北辺の水堀→DSCN8268.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.846370/138.383671/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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