三沢氏居館(岩手県奥州市) [古城めぐり(岩手)]
←館跡の現況
三沢氏居館は、仙台伊達藩の藩制では「前沢所」と呼ばれ(「所」は「要害」よりひとつ下のランク)、江戸時代後期に前沢の領主となった伊達藩の重臣三沢氏の居館である。戦国時代には葛西氏の家臣三田氏が前沢城を築いて居城としていたが、1590年に豊臣秀吉の奥州仕置で葛西氏が改易され、葛西大崎一揆を通してこの地が伊達氏の領国に組み入れられると、伊達氏の家臣大内氏・成田氏・飯坂氏の各氏が代々前沢を支配した。伊達氏時代に最初に前沢に入部したのがかつて小浜城主であった大内定綱で、定綱は前沢城を廃して南麓に居館を造営した。その後、領主が変わっても代々この居館が使われ、最後に前沢に入部した三沢宗直から8代邦為までの約190年間もここに居館が置かれた。三沢氏は伊達藩家臣団最上席に当たる一門の家格であった。
三沢氏居館は、旧前沢小学校の跡地となっている(現在の前沢小学校は、他校と統合されて移転された)。山裾の高台で、現在校舎が建っている所に、かつては書院や御殿が建っていたらしい。前面には水堀もあったらしいが、現在は埋められてしまっている。旧校庭の前に表門が移築されて残っており、唯一往時の名残を思わせる。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/39.046927/141.120372/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
三沢氏居館は、仙台伊達藩の藩制では「前沢所」と呼ばれ(「所」は「要害」よりひとつ下のランク)、江戸時代後期に前沢の領主となった伊達藩の重臣三沢氏の居館である。戦国時代には葛西氏の家臣三田氏が前沢城を築いて居城としていたが、1590年に豊臣秀吉の奥州仕置で葛西氏が改易され、葛西大崎一揆を通してこの地が伊達氏の領国に組み入れられると、伊達氏の家臣大内氏・成田氏・飯坂氏の各氏が代々前沢を支配した。伊達氏時代に最初に前沢に入部したのがかつて小浜城主であった大内定綱で、定綱は前沢城を廃して南麓に居館を造営した。その後、領主が変わっても代々この居館が使われ、最後に前沢に入部した三沢宗直から8代邦為までの約190年間もここに居館が置かれた。三沢氏は伊達藩家臣団最上席に当たる一門の家格であった。
三沢氏居館は、旧前沢小学校の跡地となっている(現在の前沢小学校は、他校と統合されて移転された)。山裾の高台で、現在校舎が建っている所に、かつては書院や御殿が建っていたらしい。前面には水堀もあったらしいが、現在は埋められてしまっている。旧校庭の前に表門が移築されて残っており、唯一往時の名残を思わせる。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/39.046927/141.120372/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:居館
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