轟木館(岩手県花巻市) [古城めぐり(岩手)]
←西側の土塁
轟木館は、天正年間(1573~92年)に和賀氏の家臣轟木兵庫の居館であった。轟木兵庫はの地に剃髪して月斎と称し、豊臣秀吉の奥州仕置で和賀氏が改易となると、轟木氏は南部氏に仕え、長男の長右衛門が700石の禄を得ていた。その後、南部氏の下で関ヶ原の戦いに出陣したが戦死し、轟木氏は断絶した。
轟木館は、轟木地区にある平地の城館で、方形単郭であったらしい。現在は郭内を南北に市道が貫通する他、宅地化・耕地化で湮滅が進んでいる。わずかに西辺部の土塁と堀跡が残っているだけである。笹間館と同様に昭和30年代後半には遺構の湮滅が進んでいるので、わずかとはいえ土塁と堀跡が残っているだけでもありがたい。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/39.359694/141.050398/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
轟木館は、天正年間(1573~92年)に和賀氏の家臣轟木兵庫の居館であった。轟木兵庫はの地に剃髪して月斎と称し、豊臣秀吉の奥州仕置で和賀氏が改易となると、轟木氏は南部氏に仕え、長男の長右衛門が700石の禄を得ていた。その後、南部氏の下で関ヶ原の戦いに出陣したが戦死し、轟木氏は断絶した。
轟木館は、轟木地区にある平地の城館で、方形単郭であったらしい。現在は郭内を南北に市道が貫通する他、宅地化・耕地化で湮滅が進んでいる。わずかに西辺部の土塁と堀跡が残っているだけである。笹間館と同様に昭和30年代後半には遺構の湮滅が進んでいるので、わずかとはいえ土塁と堀跡が残っているだけでもありがたい。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/39.359694/141.050398/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
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