小瀬川館(岩手県花巻市) [古城めぐり(岩手)]
←西の堀切らしい跡
小瀬川館は、瀬川城とも言い、稗貫地方の領主稗貫氏の初期の居城と伝えられる。また一説には、小瀬川館は瀬川氏の祖、大瀬川氏の居城であったとも言われる。稗貫氏の出自については伊達氏一族説など諸説あって明確にできない。いずれにしても奥州合戦による奥州藤原氏滅亡後にこの地に入部してきたものであろう。稗貫氏は後に十八(さかり)ヶ城(本館)に移り、更に鳥谷ヶ崎城(花巻城)に居城を移したと言う。
小瀬川館は、瀬川南岸の比高10m程の段丘先端部に築かれている。現在は崖で囲まれた地勢は残っているものの、城内は住宅団地となり遺構はほとんど湮滅している。わずかに西の台地基部に堀切らしい跡が見られるに過ぎない。
尚、西に100m程離れた丘陵上には、方形の塚が残っており、殿様の墓と伝承されているらしい。城の解説板には塚は2基あったとされるが、1基しか確認できなかった。
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/39.420257/141.085503/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
小瀬川館は、瀬川城とも言い、稗貫地方の領主稗貫氏の初期の居城と伝えられる。また一説には、小瀬川館は瀬川氏の祖、大瀬川氏の居城であったとも言われる。稗貫氏の出自については伊達氏一族説など諸説あって明確にできない。いずれにしても奥州合戦による奥州藤原氏滅亡後にこの地に入部してきたものであろう。稗貫氏は後に十八(さかり)ヶ城(本館)に移り、更に鳥谷ヶ崎城(花巻城)に居城を移したと言う。
小瀬川館は、瀬川南岸の比高10m程の段丘先端部に築かれている。現在は崖で囲まれた地勢は残っているものの、城内は住宅団地となり遺構はほとんど湮滅している。わずかに西の台地基部に堀切らしい跡が見られるに過ぎない。
尚、西に100m程離れた丘陵上には、方形の塚が残っており、殿様の墓と伝承されているらしい。城の解説板には塚は2基あったとされるが、1基しか確認できなかった。
西の丘陵上の塚→
お城評価(満点=五つ星):☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/39.420257/141.085503/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
日本100名城と続日本100名城に行こう 公式スタンプ帳つき (歴史群像シリーズ)
- 作者: 日本城郭協会
- 出版社/メーカー: ワン・パブリッシング
- 発売日: 2020/12/17
- メディア: ムック
タグ:中世平山城
コメント 0