陣ヶ岡(岩手県北上市) [古城めぐり(岩手)]
←主郭外周の空堀
陣ヶ岡は、歴史不詳の城である。伝承では、北上川対岸にあった黒沢尻柵(安倍五郎正任の居城)を攻撃するため、1062年に源頼義・義家が築いた陣跡とされるが、確証はない。またこの小高い丘には、源氏以外にもヤマトタケル・安倍比羅夫・坂上田村麻呂・源頼朝・蒲生氏郷など数多くの武将が陣を構えたとの伝承があるが確証がないことは同じである。空堀跡から元代~14世紀の中国の焼き物が発見されていること、戦国時代に葛西氏の領国との境に接する和賀氏の領国内であったことから、葛西氏やその家臣江刺氏の侵入に対する警備を担っていた和賀氏の城であったと推測されている。
陣ヶ岡は、北上川の東岸にそびえる標高100m、比高45m程の丘陵上に築かれている。単に陣ヶ岡と言うより、「陣ヶ岡楯(陣ヶ岡館)」などと呼んだ方がわかりやすいだろう。城内は公園化され、散策路も整備されているので夏場でも訪城できる。外周を空堀で囲まれた主郭を頂部に置き、西の尾根先端に堀切を挟んで二ノ郭を配置している。二ノ郭の南側にも主郭外周から続く形で空堀が穿たれ、二ノ郭から突き出た西尾根先端には見張り台(物見台)がある。主郭も二ノ郭も、郭内はあまり削平されておらず、地山に近い自然地形である。現地解説板には描かれていないが、主郭の南にも舌状の平場があり、三ノ郭であったと思われる。公園化で遺構が改変を受けている部分もあって、全てが往時の形状ではないと思うが、形態としては完全な山城である。しかし郭内が削平されておらず居住性がないことから、作戦上の都合で臨時的に築かれた陣城であった様に思われる。
お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/39.271094/141.127689/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
陣ヶ岡は、歴史不詳の城である。伝承では、北上川対岸にあった黒沢尻柵(安倍五郎正任の居城)を攻撃するため、1062年に源頼義・義家が築いた陣跡とされるが、確証はない。またこの小高い丘には、源氏以外にもヤマトタケル・安倍比羅夫・坂上田村麻呂・源頼朝・蒲生氏郷など数多くの武将が陣を構えたとの伝承があるが確証がないことは同じである。空堀跡から元代~14世紀の中国の焼き物が発見されていること、戦国時代に葛西氏の領国との境に接する和賀氏の領国内であったことから、葛西氏やその家臣江刺氏の侵入に対する警備を担っていた和賀氏の城であったと推測されている。
陣ヶ岡は、北上川の東岸にそびえる標高100m、比高45m程の丘陵上に築かれている。単に陣ヶ岡と言うより、「陣ヶ岡楯(陣ヶ岡館)」などと呼んだ方がわかりやすいだろう。城内は公園化され、散策路も整備されているので夏場でも訪城できる。外周を空堀で囲まれた主郭を頂部に置き、西の尾根先端に堀切を挟んで二ノ郭を配置している。二ノ郭の南側にも主郭外周から続く形で空堀が穿たれ、二ノ郭から突き出た西尾根先端には見張り台(物見台)がある。主郭も二ノ郭も、郭内はあまり削平されておらず、地山に近い自然地形である。現地解説板には描かれていないが、主郭の南にも舌状の平場があり、三ノ郭であったと思われる。公園化で遺構が改変を受けている部分もあって、全てが往時の形状ではないと思うが、形態としては完全な山城である。しかし郭内が削平されておらず居住性がないことから、作戦上の都合で臨時的に築かれた陣城であった様に思われる。
二ノ郭南側の空堀→
←主郭~二ノ郭間の堀切お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/39.271094/141.127689/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:中世山城
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