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丸子館(岩手県北上市) [古城めぐり(岩手)]

DSCN7407.JPG←三ノ郭の段と大竪堀
 丸子館は、笊渕(ざるぶち)館とも言い、奥州の戦国大名和賀氏の庶流鬼柳氏一族の居城である。城主は、天文年間(1532~55年)に鬼柳伊賀守であったと伝えられ、伊賀守は1578年に上鬼柳の羽場館(鹿島館のことか?)に居城を移したと言われる。和賀氏は鬼柳氏を始めとする庶子家が乱立し、しばしば内訌を生じたが、鬼柳氏内部でもいくつかの系統に分かれていた。伊賀守もその一流で、鬼柳光義の4男下総守時義の系統とされる。

 丸子館は、和賀川南方の段丘北辺部に築かれている。大きく2つの曲輪に分かれており、中央に長円形の主郭、その西に細長い二ノ郭、主郭の南東に長方形の三ノ郭が配置されている。主郭は、中央部に国道4号線が貫通しており、大きく破壊されている。また国道東側はプレハブハウス置き場となっているが、曲輪の外形は概ね残っている様である。また国道西側は雑草だらけの空地になっており、西側の二ノ郭との間には空堀が残っている。壊滅しているのは主郭だけで、二ノ郭・三ノ郭は遺構がほぼ完存している。二ノ郭は主郭・三ノ郭と比べると居住性のない狭い曲輪で、外周に空堀が廻らされている。三ノ郭は、内部が階段状に区画された広大な曲輪で、西・南・東の3面外周に大空堀が穿たれている。西と東の空堀は、斜面に沿って降る大竪堀となっていて、下方には湧水がある。三ノ郭内部の段は5~6段に分かれ、更に東西方向にも段差ある部分もあり、また一部で塁線が屈曲して横矢も掛かっている。最上段には土塁が築かれている。間近まで住宅地が迫っているにも関わらず、全体的には遺構をよく残した城である。
二ノ郭外周の空堀→DSCN7287.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/39.267589/141.100159/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


中世城館跡の考古学的研究

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