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浜田城(岩手県陸前高田市) [古城めぐり(岩手)]

DSCN9854.JPG←主郭とされる松峰神社背後の高台
 浜田城は、大和田掃部の居城と伝えられる。大和田掃部は、高田城米ヶ崎城を居城とした浜田安房守広綱の重臣で、米ヶ崎城二ノ郭に主君浜田広綱とともに墓が建てられている。また大和田氏は広田高館の城主であったとも伝えられ、2つの城主を兼帯したものか、或いは広綱が居城を高田城から米ヶ崎城に移した際に、配置換えが行われたものだろう。浜田氏が主家葛西氏に対して反乱を起こし、鎮圧されて没落した後、1590年秋には大和田氏は葛西晴信の元に勤番していたらしい。しかし豊臣秀吉の奥州仕置で葛西氏が改易となり、その後葛西大崎一揆が起きると、佐沼城に立て籠もって討死したと言う。

 浜田城は、米ヶ崎城の北北西950mの丘陵上に築かれている。なだらかな丘陵地で、ほとんどの部分が宅地や畑に変貌しており、そのため遺構は余り明瞭ではない。松峰神社の背後の高台が主郭とされるが、ほとんど自然地形である。主郭の尾根続きの東や北東にも丘陵上に平場はあるようだが、民家があるので踏査できず詳細は不明である。『岩手県中世城館跡分布調査報告書』の縄張図では、これらの平場間に堀切があるとされるが、遠目にははっきりした堀跡は確認できない。唯一、主郭の南の車道が堀跡らしい形状を留めているだけである。この堀の南の丘陵地も城の一郭であったようだが、平場の段はあるものの、ここも宅地化で大きく改変されているのではっきりしない。結局、ほとんど明確な城の痕跡を見出すことはできず、かなり残念な状況である。尚、いわてデジタルマップの文化財地図では浜田城のある丘陵は城跡と認知されていない。本当に城跡だったのだろうか?

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/39.009205/141.655161/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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