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本宿楯(岩手県陸前高田市) [古城めぐり(岩手)]

DSCN9906.JPG←主郭内部の段差
 本宿楯(本宿館)は、横田城とも言い、昆野右馬之允(または日野右馬允)が城主であったと言われる。『岩手県中世城館跡分布調査報告書』では、葛西氏の家臣・気仙金野氏の一系統に属する武士であったと推測している。また金野氏の祖とされる金氏は、鎌倉期には横田本宿楯を本拠としていたと言われる。一方、葛西大崎一揆に関する伝承では、桃生郡中津山香取(神取山城)に立て籠もった1700余騎の中に気仙郡横田城主横田佐渡守常冬の名が見える。葛西氏の歴史については不明点や史料上の食い違いや混乱が多いので、どの伝承が正しいのか不明である。

 本宿楯は、気仙川東岸の標高70m、比高60m程の丘陵上に築かれている。東西2つの曲輪群があり、西の二ノ郭には熊野神社があるので、参道が整備されている。頂部に三角形の主郭を置き、東に帯曲輪を廻らし、更にその外周に腰曲輪群を築いた縄張りとなっている。主郭の内部は2段の平場に分かれている。また南西の腰曲輪には内枡形虎口があり、横に竪土塁が築かれて土塁が2つ並列した虎口となっている。これら主郭群の西に細長く突き出すように二ノ郭があり、二ノ郭の西側下方に更に平場が広がっている。ここは一部が畑地となっているが、脇に土塁や空堀のような地形が見られる。『岩手県中世城館跡分布調査報告書』の縄張図によれば、二ノ郭群と主郭群との間には堀切があるとされるが、現状では確認できない。以前は山全体が耕地化されていたらしく、改変されている可能性があるが、概ねの遺構は残っていると思われる。縄張りにはあまり技巧性はなく、比較的古い形態のまま戦国末期まで使われた城だったようである。尚、この城も2月の北東北なにのマダニが出るので、要注意である。
神社が建つ二ノ郭→DSCN9891.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/39.056409/141.596432/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1

※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。


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