波木井氏館(山梨県身延町) [古城めぐり(山梨)]
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波木井氏館は、波木井南部氏館とも言い、甲斐源氏南部氏の庶流波木井氏の居館である。その事績は波木井城の項に記載する。波木井氏の祖、南部光行の3男六郎実長がこの地に屋敷を構えたとされる。1393年、8代政光の時に同族を頼って陸奥国八戸に移住するまで、波木井氏はこの地に居住したと言う。尚、その後も波木井城に残った一族もいたが、1527年に武田信虎に滅ぼされた。
波木井氏館は、波木井川に面した梅平集落南側の比高40m程の山裾にある。丘上が平坦な高台となっていて、そこが館跡と伝えられている。北麓の墓地裏からと、近くの鏡円坊の脇からと2つの登道がある。方形の主郭があり、その北や西にいくつかの腰曲輪が見られる。主郭背後には土塁状の土壇があるが、一部崩れていてしまっているようである。背後に切通し状の小道があり、北側斜面に竪堀が落ちている。背後の東側丘陵地にも平坦地が広がっている。この他、大きな谷で南側側方を遮断している。以上が波木井氏館であるが、昭和58, 59年に行われた発掘調査では館跡と特定できるものは発見されなかったらしく、今後の考究が待たれるところである。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.366297/138.428357/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
波木井氏館は、波木井南部氏館とも言い、甲斐源氏南部氏の庶流波木井氏の居館である。その事績は波木井城の項に記載する。波木井氏の祖、南部光行の3男六郎実長がこの地に屋敷を構えたとされる。1393年、8代政光の時に同族を頼って陸奥国八戸に移住するまで、波木井氏はこの地に居住したと言う。尚、その後も波木井城に残った一族もいたが、1527年に武田信虎に滅ぼされた。
波木井氏館は、波木井川に面した梅平集落南側の比高40m程の山裾にある。丘上が平坦な高台となっていて、そこが館跡と伝えられている。北麓の墓地裏からと、近くの鏡円坊の脇からと2つの登道がある。方形の主郭があり、その北や西にいくつかの腰曲輪が見られる。主郭背後には土塁状の土壇があるが、一部崩れていてしまっているようである。背後に切通し状の小道があり、北側斜面に竪堀が落ちている。背後の東側丘陵地にも平坦地が広がっている。この他、大きな谷で南側側方を遮断している。以上が波木井氏館であるが、昭和58, 59年に行われた発掘調査では館跡と特定できるものは発見されなかったらしく、今後の考究が待たれるところである。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.366297/138.428357/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:居館
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