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波木井城(山梨県身延町) [古城めぐり(山梨)]

DSCN3522.JPG←二ノ郭西側の切岸
 波木井城は、峯の城とも言い、甲斐源氏南部氏の庶流波木井氏の居城とされる。南部光行の3男六郎実長が波木井氏を称したとされる。光行は源頼朝に仕え、1189年の奥州合戦の軍功により、奥州糠部の地を賜り、光行とその一族は奥州に移って栄えた。一方、波木井六郎実長はこの地に残って波木井城を築いたと言われるが、明証はない。また梅平集落南側の山裾にも実長の居館跡があり、波木井城との関係はわかっていない。『太平記』第30巻によれば、南北朝期の1351年の薩埵山合戦の際、南部一族と羽切遠江守ら300余騎は足利尊氏方として薩埵山の一陣を守備し、攻撃してきた直義方の児玉党(武蔵七党の一)を撃退したと言う。波木井城が歴史に現れるのは、戦国期の武田信虎(信玄の父)の時代で、1521年に駿河今川氏の部将福島正成が甲斐に侵攻した時、波木井義実は今川方に内通した廉で、1527年に武田信虎に峯の城(波木井城)で攻め滅ぼされたと言う。

 波木井城は、身延山の南東の尾根筋の標高350mの峰に築かれている。城内は一部が宅地、大半が畑となり、墓地や鉄塔が立っているなど、地形改変が多くて遺構がよくわからない。鉄塔の立つ頂部の小郭が主郭と思われ、その西側には平坦な二ノ郭が広がっている。二ノ郭の南西部には土門と呼ばれる虎口跡があり、車道が通っているが、その脇には明確な切岸が残っている。主郭の東側斜面には腰曲輪らしい平場が段々に連なっている。腰曲輪群の北東部には、城址碑が立っており、その下方にも腰曲輪らしい平場が残る。全てが遺構かどうかはわからないが、城らしい雰囲気は感じられる。

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.387064/138.442647/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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