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福士の城山城(山梨県南部町) [古城めぐり(山梨)]

DSCN0576.JPG←広大な腰曲輪
 福士の城山城は、歴史不詳の城である。この地は穴山氏の支配下にあり、城山城西麓の西恩寺には穴山梅雪(信君)の遺児勝千代の墓もある。従って、穴山氏に関連した城砦である可能性はかなり濃厚で、福士の代官は佐野日向守友重かその一族と考えられていて、佐野氏が管理する烽火台であったと推測されている。
 尚、福士郷佐野氏は、同家の系図によれば下野国佐野の出身で、1440年の結城合戦後に甲斐守護武田信守に属して甲斐に移住したと伝えられる。本拠地を河内谷の光子沢に置き、戦国時代には武田氏の親族衆穴山氏の家臣になったと言う。佐野友光は光子沢を本拠とし、1534年に穴山信友から将監の官途を受け、佐野将監と名乗った。友光の弟淡路守光綱は、福士郷矢嶋に本拠を置いた。佐野友重は、友光の子で、穴山氏の奉行衆を務めた。

 福士の城山城は、福士川曲流部に突き出た、標高158m、比高40m程の丘陵上に築かれている。主郭には金刀比羅宮が建っているので、参道が整備されている。社殿があるのが主郭で、社殿背後に土塁が見られる。主郭の南東の鳥居のある平場が二ノ郭である。ここから南東の尾根筋には、片堀切や切通し状の堀切が残っている。また主郭の北西下方には、広大な腰曲輪が広がっており、その北西角には堀切が穿たれ、前面に小郭が置かれている。またこの腰曲輪の北にも更に舌状の腰曲輪があり、その周りに数段の帯曲輪が確認できる。以上が福士の城山城で、神社建設による改変があるものの、概ねの遺構は残っているようである。
北西角の堀切→DSCN0582.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.234114/138.471916/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


武田三代の城

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