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葛谷城(山梨県南部町) [古城めぐり(山梨)]

DSCN0614.JPG←城址碑と信玄供養塔
 葛谷城は、戦国時代の駿河今川氏と甲斐武田氏との抗争期に築かれた境目の城である。今川氏親・氏輝親子が武田信虎と争った1515~35年頃に今川氏によって構築され、武田信玄が駿河に侵攻して今川氏真を駆逐した1568年以降に、武田氏によって規模が拡大され、再構築された城と推測されている。葛谷峠狼煙場跡として町の史跡に指定されていたが、平成2年の全面発掘調査の後、民間会社による土石採取で城は消滅した。

 葛谷城は、前述の通り、既に地上から消滅してしまっている。発掘調査の結果、伝承されてきた単なる狼煙場ではなく、土塁で囲まれた頂部の2郭を中心に横堀・竪堀・腰曲輪を備えた、かなり技巧的な縄張りの城であることが判明したと言う。現在は、国道469号線沿いの県境に近い空き地に、葛谷城旧跡の碑・武田信玄供養塔(元は葛谷城主郭にあったもの)が基壇の上に並べられて整備されているだけである。しかし周囲は草茫々である上、空き地の周りは鉄条網で囲われている。せっかく整備したものなのに、なんで鉄条網で囲っているのか、不思議でならない。そもそも文化財を残すために史跡に指定したはずなのに、みすみす破壊を許す結果となったとは、何のために史跡に指定したのかと疑問に思う。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所: https://maps.gsi.go.jp/#16/35.229259/138.529851/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


甲斐の山城と館〈下〉東部・南部編―縄張図・断面図・鳥瞰図で見る

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  • 作者: 宮坂 武男
  • 出版社/メーカー: 戎光祥出版
  • 発売日: 2014/07/01
  • メディア: 単行本


タグ:中世山城
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