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殿島城(長野県伊那市) [古城めぐり(長野)]

DSCN3504.JPG←主郭北側の三重横堀の一部
 殿島城は、天文年間(1532~55年)に春日城主伊那部但馬守重成の次男、新左衛門がこの地に分封されて殿島大和守重国と称し、殿島城を築いたと伝えられる。1556年、甲斐の武田信玄が伊那に侵攻し、伊那の諸氏に降伏を迫ったが、重国らは武田氏に抵抗した。しかし多勢に無勢で重国ら8人衆は狐島で磔にされ、八人塚に葬られた。その後殿島城は、高遠城の支城となったとの説もある。

 殿島城は、天竜川東岸の比高40m程の段丘辺縁部に築かれている。南北に谷が深く入り込んだ段丘西辺の中央部に主郭を築き、南に二ノ郭、そしてこれらを取り巻くように東側に外郭を置いていたらしい。しかし現在主郭以外は住宅団地に変貌しており、二ノ郭・外郭の痕跡は断片的に過ぎない。主郭は公園化されており、四周を土塁で囲んだ曲輪がよく残っている。主郭の北と東には、三重横堀が見事に残っている。特に北側の堀・土塁は素晴らしく、ウネウネしているのがよく分かる。南側は二重の横堀が残っている。この他、西側の急斜面に入り込むと、主郭の西斜面には帯曲輪が築かれる他、二ノ郭西側の横堀が主郭南の二重横堀と直行している。また二ノ郭南端の空堀も、西端部の竪堀だけ斜面に残っている。段丘南端の谷部にも、谷に沿って横堀・帯曲輪が残っている。以上が殿島城の遺構で、伊那地域では珍しい三重横堀が見事である。
二ノ郭西側の横堀→DSCN3541.JPG
DSCN3567.JPG←谷沿いの南端部の横堀

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.805049/137.961524/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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タグ:中世崖端城
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