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真下氏館(埼玉県本庄市) [古城めぐり(埼玉)]

DSCN3240.JPG←真下氏の墓石群
 真下氏館は、武蔵七党の一、児玉党の一流で、真下氏の祖・五郎太夫基行(太郎基行ともされる)の居館である。真下氏の正確な系図は不明ながら、児玉氏2代弘行の次男・入西三郎大夫資行の子・基行が、児玉郡真下郷に分封され、真下氏を称したことに始まると推測されている。鎌倉期には弓の名手として知られた一族であったらしい。1333年、新田義貞の鎌倉攻めの際、真下左兵衛春行は新田軍に属して戦った。しかし1337年、奥州霊山城から南下してきた鎮守府大将軍北畠顕家率いる南朝軍と鎌倉府の足利勢率いる北朝軍が戦った薊山(あざみやま)合戦(または薊山安保原合戦とも言う)では、南朝方に付いていた春行は討死し、真下氏は没落したらしい。残った一族は上野国に移住して、戦国期に真下城を築いたとされる。

 真下氏館は、現在の龍泉寺付近にあったらしい。所在地も明確ではなく、遺構は望むべくもない。ただ龍泉寺とその南にある金佐奈神社は真下氏所縁の神社仏閣で、それらの由緒書に真下氏のことが書かれている。また金佐奈神社の南西200m弱の位置にある馬頭観音堂も、真下氏所縁のもので、観音堂南東にある墓地内に真下氏一族の墓石群があり、薊山合戦で討死にした真下春行の墓もある。尚、下真下地区の西には、太平洋戦争の時に陸軍によって児玉飛行場が建設され(現在の児玉工業団地)、そのため寺が移転させられるなど、集落自体の形が戦前と全く変わってしまっている可能性があることを付記しておく。

 お城評価(満点=五つ星):☆
 場所:【龍泉寺】
    https://maps.gsi.go.jp/#16/36.216969/139.143348/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f0


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