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瀬沢古戦場・九ッ塚(長野県富士見町) [その他の史跡巡り]

DSCN3617.JPG←瀬沢古戦場の石碑
 瀬沢の戦いは、『甲陽軍鑑』だけに記され、同時代史料には現れない謎の多い合戦である。1542年2月、信濃の小笠原・諏訪・村上・木曽の4大将は甲斐の武田信玄を攻撃しようと合議し、甲信境の瀬川に陣取った。しかしこの動きを察知していた信玄は密かに軍勢を発し、3月9日朝、信濃勢の不意を衝いて攻撃した。武田軍は信濃兵1621を討ち取って大勝したが、味方にも多数の死傷者を出したと言う。以上が軍鑑の記述であるが、実際の年次と合わないなど不自然な事が多い。しかしその一方で地元にはその伝承を裏付ける史跡や地名も存在している。
 九ッ塚はそうした史跡の一つで、戦死者の屍を9つの穴に埋めて塚を作ったと伝えられる。

 瀬沢古戦場は、国道20号線が大きくカーブする地点の内側道沿いに石碑と解説板が立っている。このカーブはかなり急である上、内側に丘があって視界を遮っているので完全なブラインドコーナになっており、車通りも多く横断するのは大変危険である。近くで農作業をしていた方の話では過去に何度も事故があったとのことで、そのため古戦場碑の東側に地下通路が作られている。訪問の際はこの地下通路を使って道路を横断した方が良い。
 また九ッ塚は、瀬沢古戦場碑から1.2km程西方の横吹地区の町道脇にある。ここにも石碑と解説板が立ち、謎の多い歴史を伝えている。
九ツ塚の石碑→DSCN3626.JPG

 場所:【瀬沢古戦場】
    https://maps.gsi.go.jp/#16/35.896047/138.244550/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
    【九ツ塚】
    https://maps.gsi.go.jp/#16/35.893578/138.231740/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


甲陽軍鑑 (ちくま学芸文庫)

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タグ:古戦場
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