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高山城(富山県富山市) [古城めぐり(富山)]

DSCN6457.JPG←三ノ郭群の北の堀切
 高山城は、射水・婦負郡守護代神保氏の重臣寺島牛助(牛之助とも)が築いたと伝えられる。小島城主小島甚助は、牛助の弟である。両人の事績は小島城の項に記載する。

 高山城は、山田川東岸の標高190mの山上に築かれている。史跡指定はないが北西麓から登道が整備され、解説板も設置されている。解説板の奥を台地上に登ると、山麓居館・家臣団屋敷地らしい平場群が展開している。ここは町ヶ平・法華坊・的場などの地名が残っている。平場群は明確だが、大半が耕作放棄地の薮に埋もれている。平場群を通過すると、道は尾根を南東に登っていき、やがて主郭に至る。主郭は南北に長い曲輪で、北東角に櫓台、南端にも大きな土壇があり鐘突堂と呼ばれる。主郭中央部の平場は倉跡とされる。登ってきた道はかつての大手と推測され、主郭の北西に多数の帯曲輪群が築かれて大手筋を固めている。ただこの帯曲輪群は、近世の段々畑だった可能性もある。主郭から北に伸びる細尾根には間隔をあけて3本の堀切が穿たれている。これらの堀切群の北には二ノ郭がある。二ノ郭は、細長く伸びた曲輪で2段に分かれ、南の細長く高台となった平場は物見台であったらしい。ここだけ木が伐採されていて、北西麓への眺望が開けている。下段の平場は細長い菱形状で、南東に土塁が築かれている。二ノ郭の北には細尾根・小郭・細尾根と降っていき、三ノ郭に至る。三ノ郭はくの字型をした広い平場で、周囲に腰曲輪を伴っている。三ノ郭の南西端には土塁を兼ねた小郭が築かれて南限を区画している。三ノ郭の北東には三角形の腰曲輪があり、その先端を城内最大の堀切で分断している。その北に細尾根が伸び、その先を小堀切で区画して城域が終わっている。一方、主郭の後部にも堀切が穿たれ、南に細尾根が伸びている。この細尾根は小ピークで分岐してY字型になっている。南と、北の三角点のある峰の先に、それぞれ小堀切が穿たれている。以上が高山城の遺構で、それほど技巧的な縄張りではないが、城域は広く、堀切も中規模のものもあって、中々守りを固めた城であったことがうかがわれる。
二ノ郭の土塁→DSCN6421.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.614503/137.093024/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


越中中世城郭図面集 1(中央部編(富山市・中新川郡

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