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田子屋楯(宮城県栗原市) [古城めぐり(宮城)]

DSCN6888.JPG←主郭切岸と腰曲輪
 田子屋楯(田子屋館)は、現地標柱には田子谷館と表記され、大崎氏の家臣で斐ノ城主菅原太郎明長が1533年に移った城である。しかし明長は16年後の1549年に御田鳥城に再び居城を移した。慶長年間(1596~1615年)には、伊達氏家臣の守屋伊賀守貞成が田子屋楯に居住したと言う。

 田子屋楯は、迫川流域の平地の北に連なる丘陵地の一角、比高30m程の丘陵上に築かれている。大館・小館という2つの曲輪で構成されている。東麓の宅地脇に標柱があり、その先に小道が登っているが、この小道の先は廃屋に至ってしまうので、途中から薮をかき分けて西に進んで訪城した。東西に長い長方形の主郭があり、これが大館である。周囲は切岸に囲まれ、外周に腰曲輪が築かれている。主郭は一部が切り開かれ、北西に3基の祠が祀られている。腰曲輪は竹薮などになっている。主郭の北東下方には、尾根状に繋がった鞍部の曲輪があり、その北に二ノ郭(小館)がある。二ノ郭は全面竹薮となっており、郭内が傾斜していて、北に向かって登り勾配となっている。西と北に土塁が築かれ、その外側下方には西に横堀、北に堀切が穿たれ、これらはL字型に繋がっている。この他、前述の繋ぎの曲輪の南東にも腰曲輪が築かれ、主郭腰曲輪と繋がっている。全体的に薮がひどいが、遺構はよく残っている。
二ノ郭北の堀切→DSCN6939.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.808923/141.108366/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。


東北の名城を歩く 南東北編: 宮城・福島・山形

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