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七折楯(岩手県北上市) [古城めぐり(岩手)]

DSCN7502.JPG←西側の空堀・土塁
 七折楯(七折館)は、1600年の岩崎一揆の際、岩崎城攻撃のために出陣した南部利直の本陣である。1600年9月、関ヶ原合戦に連動して、領土拡大を目論む伊達政宗に扇動された和賀氏旧臣達は、最後の当主和賀義忠の弟忠親を擁して岩崎城に立て籠もって南部氏に対して挙兵した(岩崎一揆)。和賀勢は、南部氏の拠点花巻城まで攻め込んだが攻略できず、返って南部勢の反撃を受けて撤退し、岩崎城に籠城した。10月、三戸で軍備を揃えた南部利直は、岩崎城攻撃のために岩崎城西方の兵庫楯に陣を敷き、更に七折楯の普請を命じた。冬が到来したため、そのまま戦いは中断され、翌年3月、春の到来とともに南部利直は再び出陣し、七折楯に本陣を構えて攻撃を開始した。翌4月に岩崎城を攻略して一揆を鎮圧した。

 七折楯は、岩崎城から約900m南西にある、夏油川西方の台地先端部に築かれている。台地上には耕作放棄地があり、そこまで通じる小道があるので、それを登っていけば城に至る。台地の北東端部に、西と南をL字型の空堀・土塁で区画した主郭がある。空堀・土塁はいずれも大した規模ではなく、それほど強く防御性を意識して築いている感じではない。主郭の南西には虎口が築かれ、土橋が架かっている。主郭の東斜面には帯曲輪が1段築かれている。西や南に広がる周囲の平場にも、所々段差があり、耕地化によるものの可能性もあるが、遺構である可能性もあるだろう。また城のある台地の南は、細長くなってくびれているが、ここには竪堀と溝状の堀が見られ、外郭があったと考えられる。南部氏当主の本陣であるので、当然南部氏の大部隊が周囲に駐屯していたはずで、かなり広い範囲が城域になっていた可能性がある。
主郭の土橋→DSCN7474.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/39.275446/141.038275/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。


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