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飯岡楯(岩手県盛岡市) [古城めぐり(岩手)]

DSCN8550.JPG←北東尾根の二重堀切
 飯岡楯(飯岡館)は、高水寺城主斯波氏の重臣飯岡氏の居城と伝えられる。古くは奥州藤原氏が岩手・紫波両郡境界の守備のため、飯岡氏をこの地に置いたとも言われるが詳細は不明。南北朝期に高水寺斯波氏が入部すると、重臣の飯岡氏をこの地に置いたと考えられる。戦国期になると南部氏の南進策によって斯波氏は攻勢に晒され、1572年に飯岡楯は南部氏の攻撃を受けて落城したと言われている。

 飯岡楯は、飯岡山の北東に張り出した丘陵を中心として築かれている。この丘陵は、標高約200mの峰から東に向かって2つの尾根がV字形に伸びており、この2つの尾根に曲輪群が築かれている。基本的には多段式の曲輪群で構成された城で、曲輪群は広範囲に築かれている。ただ全体的にざっくりした普請で、曲輪群の段を区切る切岸はあまり高低差がなく、斜度も緩い。最上部にある主郭も削平が甘く、ほとんど地山のままであり、規模的にも物見か砦レベルのものである。しかし主郭背後には堀切が穿たれ、背後の尾根との間を分断している。この堀切は、よく見ると二重堀切となっているが、外堀はほとんど帯曲輪のような形状である。この堀切から落ちる南北の竪堀の脇から、二重横堀が派生している。この二重横堀は、北東尾根の北斜面、南東尾根の南斜面にそれぞれ穿たれ、いずれもかなり長く山腹を巡っている。この内、北の二重横堀は途中で分岐し、内堀は北東尾根上に円弧状に回り込んで、尾根上に築かれた腰曲輪群を上下に分断している。またこの二重横堀の分岐部には竪堀状虎口が築かれており、下段の腰曲輪群と連絡する通路となっている。外堀は更に山腹をしばらく降った後、こちらも北東尾根上に円弧状に回り込んでいる。外堀は、尾根上に回り込んだ先の先端部だけ、もう1本横堀を構築して二重堀切となっている。またここには竪堀・竪堀状虎口があり、城の北東最外殻の防御線になっていたようである。一方、南の二重横堀は山腹をうねるように走り、南東尾根に穿たれた堀切・竪堀に合流している。この南東尾根の堀切の所まで、南麓から谷伝いに小道が通っており、大手道であった可能性がある。南東尾根の堀切の周囲にも平場群があり、南東先端部にある秋葉神社が建つ小丘も城域だったと考えられている。神社周囲にも同心円状に帯曲輪群が見られる。全体的な構成を見ると、北東尾根の方が防備が厳重であるが、前述の通り大手は南にあったと考えられ、秋葉神社の出曲輪はそれを防衛する砦であったようだ。以上が飯岡楯の遺構で、二重横堀を外周の防御ラインとした山城である。
南の二重横堀→DSCN8635.JPG
DSCN8666.JPG←主郭背後の二重堀切

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/39.672272/141.097369/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


※東北地方では、堀切や畝状竪堀などで防御された完全な山城も「館」と呼ばれますが、関東その他の地方で所謂「館」と称される平地の居館と趣が異なるため、両者を区別する都合上、当ブログでは山城については「楯」の呼称を採用しています。


パーツから考える戦国期城郭論

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