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妙吉塚(栃木県宇都宮市) [その他の史跡巡り]

DSCN1829.JPG←妙吉塚
 妙吉塚は、南北朝末期の1387年に築かれた高塚である。塚の上には宝篋印塔が建ち、「至徳四丁卯八月七日 聖金剛仏子妙言(吉?)貞禅」と刻まれている。また塚の東側には、妙吉安産子育高地蔵尊がある。宝篋印塔の碑文は妙言貞禅と読めそうだが、見様によっては妙吉貞禅とも読める。南北朝時代で妙吉と言えば、初期の室町幕府を主導した足利直義から絶大な信任を得ていた謎の禅僧に思い至る。妙吉は、元々尊氏・直義兄弟が深く帰依した夢窓国師の兄弟弟子で、夢窓の斡旋で直義に近侍してその信任を受け、絶大な権勢を振るったらしい。そして直義の側近上杉重能・畠山直宗と結んで、将軍尊氏の執事高師直の暗殺を目論んだが、失敗した。逃れた師直は京に大軍を集めて直義邸、次いで直義が逃れた将軍御所(尊氏邸)を囲み(「御所巻」という)、上杉重能・畠山直宗・妙吉3人の引き渡しを要求した。数度の交渉の結果、直義は政務から身を引き、上杉・畠山両名は配流となったが、妙吉だけはこの混乱の最中に逐電し、その後行方知れずとなり、歴史からその姿を消した。妙吉は、軍記物の『太平記』だけでなく、第1級の同時代資料である『園太暦』にもその名があるので、実在したことは間違いない。観応の擾乱の導火線となった大事件の当事者であった。妙吉塚はこの僧妙吉の供養塚の可能性がある。おそらく全国でも妙吉にまつわる史跡はここにしかなく、もし本当に妙吉のものだとしたら、晩年は宇都宮氏の庇護を受けていたのかもしれない。

 妙吉塚は、日光街道の西に並走する脇道沿いにある。高龗(たかお)神社境内の西端にあり、脇の市道はこの塚を避けるためやや屈曲している。想像していたよりも大きい立派な塚である。南北朝フリークにとっては貴重な史跡である。

 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.588371/139.863338/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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タグ:墓所
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