藤川城(群馬県邑楽町) [古城めぐり(群馬)]
←主郭北側の堀跡
藤川城は、古河公方に属した小泉城主富岡氏が築いた出城である。小泉城を築いた富岡直光の子秀光は、古河公方2代足利政氏に仕え、古河公方に敵対する佐野城(唐沢山城)に対抗するため、1521年に小泉領の北東端に藤川城を築いた。一族で重臣でもあった小林河内守義知を城主とし、敵情を探らせたと言う。
藤川城は、豊原集落の中央付近に位置している。城跡全体が集落となっているので、遺構の改変が進んでいるが、主郭は城主後裔の小林家の宅地となっており、北側に土塁と空堀が残っている。この北側の堀には横矢掛りの屈曲も見られ、屋敷地入口の東脇にも土塁・空堀が辛うじて残っている。この空堀・土塁は主郭西側にも続いているが、周囲は民家となっていて踏査が難しく、確認できていない。私は冬季に訪城したので空堀であったが、夏場は水堀になるようである。尚、東には寺曲輪、西には上木戸の字名が残っているらしい。わずかとはいえ主郭付近は遺構が残っているので、史跡指定などして保護の手立てを講じてほしいものである。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.271482/139.456716/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
藤川城は、古河公方に属した小泉城主富岡氏が築いた出城である。小泉城を築いた富岡直光の子秀光は、古河公方2代足利政氏に仕え、古河公方に敵対する佐野城(唐沢山城)に対抗するため、1521年に小泉領の北東端に藤川城を築いた。一族で重臣でもあった小林河内守義知を城主とし、敵情を探らせたと言う。
藤川城は、豊原集落の中央付近に位置している。城跡全体が集落となっているので、遺構の改変が進んでいるが、主郭は城主後裔の小林家の宅地となっており、北側に土塁と空堀が残っている。この北側の堀には横矢掛りの屈曲も見られ、屋敷地入口の東脇にも土塁・空堀が辛うじて残っている。この空堀・土塁は主郭西側にも続いているが、周囲は民家となっていて踏査が難しく、確認できていない。私は冬季に訪城したので空堀であったが、夏場は水堀になるようである。尚、東には寺曲輪、西には上木戸の字名が残っているらしい。わずかとはいえ主郭付近は遺構が残っているので、史跡指定などして保護の手立てを講じてほしいものである。
お城評価(満点=五つ星):☆☆
場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.271482/139.456716/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
タグ:中世平城
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