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高根沢城(栃木県高根沢町) [古城めぐり(栃木)]

DSCN1985.JPG←主郭南の空堀
 高根沢城は、宇都宮景綱の弟上総介盛綱の後裔高根沢新右衛門尉兼吉が、南北朝時代に築いたと伝えられる。兼吉は、観応の擾乱の際、足利尊氏方に付いた宇都宮氏綱の軍勢が、足利直義方の桃井直常・長尾景泰らと戦った上野那波庄の合戦で、宇都宮勢に属して戦い討死したと言う。兼吉の死後、益子宗之が高根沢郷を領して高根沢氏を再興した。1597年、宇都宮氏が改易となると廃城となった。尚、鎌倉時代の正嘉年間(1257~59年)に高根沢胤吉の名が伝わっており、この頃に胤吉によって築かれた可能性もある。

 高根沢城は、鬼怒川と五行川に挟まれた宝積寺台地の東縁部に築かれている。城跡の大半は、本田技研のテストコース建設によって破壊されてしまっている。わずかにテストコース外の山林内に空堀の遺構が断片的に残っているだけである。『高根沢町史』所収の関口和也氏の縄張図によれば、段丘崖東縁部に沿って南北に長い城だったらしく、北端に橫矢の折れを持った空堀があり、そこから城の西側を一直線に南に走る外堀があったらしい。この外堀は、昭和20年代前半の航空写真でもその痕跡を確認できる。縄張図には明確に区画された主郭が明示されていないが、前述の航空写真を見ると、どうも現在民家が建っている崖上の区画であったように見受けられる。この民家の南に明確な空堀が残っている。北側にも空堀の痕跡が見られ、大半が車道になっているが、車道脇にわずかに空堀跡が残っている。また主郭の南には二ノ郭があったと推測され、その東側に橫矢の折れを持った横堀が南北に走っている。この横堀は南の方で埋もれて消えてしまうが、その先の方で東斜面に竪堀らしいものが落ちている。結局、往時の縄張りがはっきりしないところもあり、ちょっと消化不良になる城である。
二ノ郭東の横堀→DSCN1994.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/36.582633/140.025859/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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