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釜屋城(岐阜県恵那市) [古城めぐり(岐阜)]

DSCN4383.JPG←西斜面の帯曲輪群
 釜屋城は、歴史不詳の城である。北東尾根の下部に「おやしき」の地名があり、上手向城主勝氏の一族が屋敷の主と伝えられていることから、勝氏の持ち城と考えられている。

 釜屋城は、標高600m、比高100m程の山上に築かれている。登り口は北東麓にあり、水田の奥の溜め池の右手に案内板と多数の幟が立っている。昨年の山城サミットで整備されているので、登り口がわかりやすくなっている。主郭はL字型をした曲輪で、後部に三角形の櫓台を築き、西に張り出した部分は3段に傾斜し、ここの南辺にだけ低土塁が築かれている。主郭の北西には、段差で区画された二ノ郭が張り出し、その東に帯曲輪が続いている。この城で特徴的なのは、主郭外周に築かれた帯曲輪群で、北面から西面にかけて幾重にも段が築かれ重厚な防御構造となっている。この内、西の帯曲輪群は谷地形に沿って内側に湾曲して構築され、浅い竪堀群を穿っている。この谷地形の斜面を竪堀で防御する構造は、規模は違うものの明知城と同じ構造と考えられる。城の大手は北東尾根にあったと考えられ、北東に舌状の大手曲輪が築かれ、その脇に腰曲輪を経由して登る虎口が築かれている。大手曲輪の周囲にも帯曲輪が数段築かれている。二ノ郭の下方の北尾根にも、帯曲輪群から降った先に堀切が穿たれ、前面に物見台が置かれている。この堀切は東半分だけ中間に土塁が築かれた変則的な二重堀切となっている。主郭の西の張出し部の先には、西尾根とその脇の北西尾根に段曲輪群が築かれている。主郭南斜面にも腰曲輪があり、西尾根段曲輪群から武者走りが繋がっていて、腰曲輪の西半分が横堀となっており、横堀の両脇は竪堀となって落ちている。主郭背後の南東の尾根には堀切があるが、ほとんど自然地形の尾根鞍部である。以上が釜屋城の遺構で、帯曲輪群による重厚な防御構造は、東濃地域の度々の戦乱の中で改修を受け続けてきたことが伺える。
大手虎口→DSCN4320.JPG
DSCN4362.JPG←北尾根の変則的な二重堀切

 お城評価(満点=五つ星):☆☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.334724/137.380182/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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タグ:中世山城
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