SSブログ

諏訪ヶ峯砦(岐阜県恵那市) [古城めぐり(岐阜)]

DSCN4655.JPG←山頂の主郭
 諏訪ヶ峯(すわがね)砦は、鶴岡山陣城とも言い、1574年に東濃に侵攻した武田勝頼が明知城を攻撃した際、後詰めとして出陣した織田信長が本陣を置いた場所と伝えられる。『明知年譜』によれば、信長が3万騎を引き具して鶴岡山に進出したが、武田氏の猛将山県昌景のの攻撃を受けて織田方の先陣が崩れ、信長はやむを得ず数里引き退いたと言う。しかし『信長公記』には信長の鶴岡山在陣の記載はないらしい。

 諏訪ヶ峯砦は、明知城の北西3kmの位置にある。標高732.1mの諏訪ヶ峯山頂に築かれており、山頂の西側を通る市道脇から登山道が整備されている。山頂の地山を中心にして、北北東・北・西の3方の尾根に出曲輪・堡塁を築いている。前述の山道を登っていくと最初に現れるのが北尾根の堡塁で、小高い峰の周囲に帯曲輪を廻らしている。そこから土塁が築かれた尾根を南に進むと山頂の主郭に至る。主郭はほとんど自然地形の地山であり、なだらかなお椀状の広い峰であるが、南以外の外周に切岸を設け、その外側に帯曲輪を築いている。ここから北北東に伸びる尾根はほとんど自然地形のまま伸び、先端に小高く堡塁を置いている。しかしこの堡塁は、前述の北尾根の堡塁と異なり、帯曲輪もなく、ほとんど普請の痕跡が見られない。主郭の西には堀切が穿たれ、その先に西の堡塁が築かれている。ここには小規模ながら土塁と腰曲輪が見られる。以上が諏訪ヶ峯砦の遺構で、いかにも急拵えの陣城という趣である。この砦からは眼下に明知城と周辺城砦群がよく見え、後詰めの陣所として適地であったことがわかる。
主郭周囲の帯曲輪→DSCN4699.JPG
DSCN4626.JPG←西側の堀切

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/35.319546/137.368498/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


織豊系陣城事典 (図説日本の城郭シリーズ6)

織豊系陣城事典 (図説日本の城郭シリーズ6)

  • 作者: 高橋成計
  • 出版社/メーカー: 戎光祥出版
  • 発売日: 2017/11/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)


nice!(4)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 4

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

Facebook コメント