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金森城(岩手県一関市) [古城めぐり(岩手)]

DSCN5224.JPG←主郭の現況
 金森城は、高山館とも言い、葛西氏の家臣金森氏の居城である。元々は、清水城(二桜城)主だった清水重兼が、1520年に子に城を譲って金森城に隠退したと伝えられる。その後、天正年間(1573~92年)には金森内膳貞利が城主であったが、1590年の葛西大崎一揆に加担し、桃生郡糠塚で伊達政宗の謀略によって討死したと言う。

 金森城は、二桜城の南南東1kmの段丘先端部に築かれている。主郭は現在水田となっている。しかし水田の後ろ(南)にある薮の部分も郭内である。主郭南端の東半分には幅広の土塁が築かれ、その裏には空堀が一直線に穿たれている。この空堀は、東に掘りきったところで東下方に穿たれた空堀と交差し、全体としてT字形をした空堀となっている。東下方の空堀は南の二ノ郭側方まで伸びているが、その先は薮のため未踏査である。遠目に見た感じと、スーパー地形の地形図から推測すると、改変によりあまり遺構の存在に期待できない可能性が大きい。この他、主郭の北から東にかけて、腰曲輪が円弧状に廻らされているが、ここも薮が酷くて一部しか踏査できていない。以上が金森城の遺構で、簡素な構造の館城だったと思われる。尚、東麓にある金蔵寺には金森貞利の供養碑が残っている。
主郭背後の空堀→DSCN5236.JPG

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/38.840017/141.162021/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


中世城郭の縄張と空間: 土の城が語るもの (城を極める)

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