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横田城(岩手県遠野市) [古城めぐり(岩手)]

DSCN5978.JPG←北側の堀切と独立堡塁
 横田城は、遠野阿曽沼氏の歴代の居城である。阿曽沼氏は、下野有数の豪族藤姓足利氏の庶流で、源頼朝の奥州合戦の軍功により閉伊郡遠野保を与えられた。その事績は鍋倉城の項に記載する。築城年代は、1189年に阿曽沼広綱が築いたとする説、建保年間(1213~19年)に広綱の子親綱が築いて居城としたとする説等があり明確にできないが、いずれにしても中世の遠野郷を支配した阿曽沼氏の長い間の本拠地であった。天正年間(1573~92年)に第13代阿曽沼広郷は、鍋倉山に新城(後の鍋倉城)を築いて居城を移した。

 横田城は、高清水山の南東の裾野にある傾斜した段丘上に築かれている。南北に深い沢が入り込んだ、扇状をした台地となっている。市の史跡に指定されており、南麓から登城道が整備されている。この登城道は、堀切のような切通しの道となっているが、左右に櫓台がそびえており、往時の大手であったと推測される。この上には前面の腰曲輪群が数段築かれ、その奥は広大な緩傾斜地となっており、全体が広大な主郭となっていた様である。内部にはいくつかの段差が見られるが、区画ははっきりしない。主郭の南は沢に面した急崖だが、北側は空堀・堀切が穿たれ、独立堡塁が数個築かれている。主郭の背後には、天然の沢を加工した大堀切が穿たれ、そこにV字に2本の土橋が架かっている。しかし土橋については造作がはっきりしない部分もあり、自然地形に多少手を加えた程度のものだった可能性がある。主郭の中程には薬師堂が建っているが、この付近だけ小さな段々地形があり、何らかの曲輪遺構であった可能性がある。この他、城の東下方の墓地や畑も、腰曲輪群であった可能性がある。以上が横田城の遺構で、天然の要害地形をそのまま利用した感じで、縄張りに技巧性はあまり見られない。
登城道左手の櫓台→DSCN5943.JPG
DSCN6003.JPG←主郭背後の土橋・堀切

 お城評価(満点=五つ星):☆☆
 場所:https://maps.gsi.go.jp/#16/39.352377/141.520772/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1


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タグ:中世平山城
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